それは、まだ若さという熱に身を委ねていた、20代の夏のことだった。
夕暮れの峠道──アスファルトが茜色に染まり、蝉の声が遠ざかるなか、僕はあのクルマといた。
マツダRX-7 FD3S。
そのシルエットは、ただ低いだけじゃない。
地面を這うように、風と会話するように、しなやかに張り詰めたフォルム。
それはもう、“走る”という動詞では言い尽くせない、ひとつの美だった。
ヘッドライトが照らし出した前方に、微かに揺れる木陰。
その先に吸い込まれるように滑り込むFDのボディは、夕陽の残照をその肌に纏い、まるで彫刻だった。
いや、呼吸する彫刻──そう言った方が、きっと近い。
ステアリングを握る手に伝わるロータリーの鼓動は、機械じゃない。
金属の規則性ではなく、もっと…血の通った“命”のようだった。
吸い込んだ空気が爆発し、魂のように回転していくエンジン音が、鼓膜を震わせ、胸の奥の記憶を揺さぶる。
その瞬間、僕はただのドライバーじゃなくなった。
FDと呼吸を合わせ、心臓のリズムまでシンクロするような一体感。
“操る”でも“走らせる”でもない。
──「共に、走る」。
それが、このクルマが教えてくれた哲学だった。
峠を下りきったとき、僕のなかの何かが変わっていた。
ただ速さを追うのではなく、“なぜ走るのか”を自分に問うようになった。
そして今、こうして言葉にしているのも、あの夜が始まりだったのかもしれない。
ステアリングを切る角度は、人生の選択に似ている。
わずかなズレが、大きな未来を変えていく。
だけど、あのときFDを選んだ僕は、間違っていなかった。
あれから幾度の夏を越えても、
あの夕暮れの鼓動だけは、まだ胸のどこかで鳴り続けている。
ロータリーという“癖”と生きた20年
心を奪った最初の出会い──FD3Sとの出会いはまさに運命だった
初めてFD3Sを見たとき、僕の胸に走ったのは「一目惚れ」なんて言葉じゃ片づけられない、もっと根源的な衝動だった。
低く、艶やかで、しなやか。光を滑らせるようなボディラインは、まるで彫刻刀で削り出された動く芸術品だった。
1993年、FDはアメリカのMotor Trend誌で「Import Car of the Year」に輝く。これは、国外メーカー車として初めて選ばれた快挙だった。
Motor Trend誌 / rx7club.com
さらに、名門Car and Driver誌でも1993〜1995年にかけて「Ten Best」に選出。走りの質感、美しさ、そして“ただ者じゃない”存在感が、海を越えて認められた証だった。
Wikipedia – Mazda RX-7
だが、そんな栄誉よりも、僕にとって大切だったのは──
「なぜ、あのクルマを見ると胸が熱くなるのか」という問いに、未だ答えが出せないでいることだ。
毎年のように壊れる──それでも、愛せた理由
FDに乗っていると、よくこう聞かれた。
「壊れない?」
「維持、大変でしょ?」
そのたびに僕は笑って答えていた。
「うん、毎年のようにトラブル出るよ」って。
白煙を上げた帰り道。
アイドリングが定まらず、信号待ちでエンストしかけた夜。
プラグがかぶって、始動に手こずった朝。
──だけど、不思議と嫌いになれなかった。
むしろ「なんでこんなに面倒くさいのに、こんなに惹かれるんだろう」って、自分の心に驚くほどだった。
“手のかかる恋人”という表現があるけど、FDはまさにそれだった。
完璧じゃないからこそ、距離が縮まった。
弱さがあるからこそ、守りたくなった。
機械に心はない。
でも、あのクルマには“気持ち”があったと、僕は信じている。
ロータリーエンジンと“会話する”という感覚
ピストンエンジンしか知らなかった僕にとって、ロータリーとの最初の対話は、驚きの連続だった。
エンジンの回転フィールは、あまりにも滑らかで軽い。
回すほどに軽快さを増し、ブーストが立ち上がる瞬間──
「クォーン!」という金属的で高い音が、背筋を震わせる。
あれは、音というより“声”だった。
クルマが僕に語りかけてくるような、そんな錯覚。
まるで会話しているように、走りながら、微妙なスロットルの開け方ひとつで、エンジンが答えてくれる。
黄昏に咲くロータリーの花火――FD3Sが魅了し続ける理由
1. 麗しき流線と低重心のフォルム
FD3Sのボディラインは、ただ風を切るための設計ではない。 見る者の心を奪い、操る者の魂を掴む。 ボディ長を抑え、ホイールベースを短縮し、ワイドトレッドで地を這うようなスタイルを得た姿は、まさに“走りの彫刻”。
それはただのデザインじゃない。
「速さ」という言葉に、美しさが宿った瞬間だった。
2. 世界で唯一のロータリーエンジン搭載スポーツ
13B-REWロータリーとツインターボの融合。 この設計思想こそ、FD3Sがただのスポーツカーではない理由だ。
ピストンエンジンとは違う鼓動。
自然吸気のように滑らかで、ターボ車のように鋭く突き抜ける。
その“矛盾”を、たった1,300ccで成し遂げた奇跡。
唯一無二。
この言葉は、FDのためにある。
3. ハンドリングは世界の指標
軽量な車体に、完璧な前後重量バランス。 このクルマは「曲がるために生まれた」と言っても、決して言い過ぎじゃない。
ステアリングを切った瞬間、風景が変わる。
挙動は正確で、曖昧さがない。
まるで、意識がタイヤに宿ったかのように──。
そのハンドリングは、今も世界中の走り手を唸らせている。
4. フォーミュラライクなコクピット設計
運転席に座った瞬間、すべてがドライバーのために設計されているとわかる。 計器類の角度、シートポジション、シフトの高さ──。
それらが調和し、“走ること”に集中するための空間が完成する。
まるでサーキットのフォーミュラマシンのように、余分なものが削ぎ落とされ、感覚だけが残る。
ここは、心を研ぎ澄ますための“聖域”だ。
5. 圧倒的な存在感とカルチャー性
FD3Sは、単なるスポーツカーに留まらなかった。 『ワイルド・スピード』で世界の憧れとなり、『グランツーリスモ』で夢を手にした者も多い。
その姿は、記憶と共に残り、時代を越えて語り継がれていく。
“あのクルマ、まだ好きなんだよね”と、誰かがぽつりと呟くたびに、FDは再び走り出す。
このクルマは、文化になった。
黄昏をともに走る覚悟――FD3Sの“持病”が織りなす物語
1. ローターリーの宿命:オイル消費とシール不良
FD3Sが抱える最も古典的な持病は、「オイル消費の多さ」と「シール部分の劣化」。特にアペックスシール(ローター先端の密封部)が摩耗すると、圧縮漏れ、パワーダウン、灰色の白煙を吐く排気といった症状が顕在化する。これは“走りの歓び”とは裏腹に、オーナーに育成と覚悟を迫る存在だ。
また、この過剰なオイル消費はターボチャージャーへも負担を与え、故障の引き金になりやすい点も見逃せない。[出典:JDM Buy & Sell]
2. 冷却系トラブル:過熱という静かな脅威
ロータリーエンジンは冷却にシビアな設計。冷却ファンのリレーやコネクターが劣化すると、十分な冷却が行われずオーバーヒートに。特にリレー周辺のコネクタは“水やすさ”ゆえに発熱・接触不良を起こしやすく、重大なエンジン損傷へつながることも。
劣化したホースやウォーターポンプ、冷却系の老朽部品もまた、トラブルの芽として警戒が必要。[出典:Pettit Racing]
ロータリーは熱に厳しい。その事実を、FDのエンジンはときに容赦なく突きつけてくる。
夏の夜。峠の帰り道。
メーターが赤く染まるあの瞬間、背筋が凍る。
走りの悦びの裏には、熱との戦いがある。
エンジンの命を守るのは、ドライバーの知識と観察力だ。
3. ブースト制御(ツインターボ)の成立と崩壊
FD3Sの持病として、セカンダリターボへのブースト移行がスムーズにいかない問題も知られている。特定の回転域でブースト圧が急に低下し、加速感が失われる――これは複雑な真空配管系の劣化、アクチュエーターの固着、チェックバルブの故障といった細かな経年劣化が積み重なって起こるものなのだ。
この症状は「ターボの問題ではなく、制御系の“繊細な病”」とも言え、持ち主の注意と知識が試される。[出典:FDOC UK Forum]
4. 熱によるメーター表示の焼け:見えなくなる恐怖
意外と話題に上がりがちな持病として、「オドメーター液晶の焼け」が挙げられる。長年の熱ストレスにより、表示が薄く、あるいは見えにくくなる現象。走行データが見えないのは単なる不便ではなく、公道での検査にも影響するという、見逃せない持病なのだ。[出典:X(旧Twitter)]
5. スタートを阻む“プラスチックの罠”:クラッチスイッチの罠
多くのMT車にある「クラッチペダルを踏まないとセル始動しない」安全機構。FD3Sでも6型はこの機構が採用されている。ここに使われるプラスチック部品が経年で破損し、セルが動かない持病として“突然の始動不能”を引き起こすことがあるのだ。
ある朝、セルが回らない。
バッテリーは生きている。
配線も異常なし。
─原因は、たった数センチのプラスチック部品だった。
FDの6型に搭載された「クラッチスイッチ」。
安全装置として仕方ない。
でも、それが“始動”すらできないトラブルを引き起こすのだ。
これほどのクルマが、こんなにも小さなもので立ち止まる。
ユーザー体験としても「まさかこの小さな部品が…」という想いと覚悟が必要なのである。[出典:CARTUNE]
持病まとめ:FD3Sと覚悟の対話
持病カテゴリ | 内容概要 |
---|---|
オイル消費・シール劣化 | パワーダウン、白煙、ターボへの影響 |
冷却系トラブル | 過熱、ファン・リレー・コネクタ劣化 |
ブースト制御問題 | ターボ移行異常、真空系の経年劣化 |
液晶焼け | オドメーターの視認不良、車検影響 |
クラッチスイッチ破損 | セル始動不能、プラスチック劣化 |
カスタムと維持のリアル
未完成の芸術に名前を刻む──FD3Sという“悩ましきキャンバス”
FD3Sの魅力は、単なる完成形ではない。
むしろ、「未完成」であることが、このクルマを永遠に輝かせている理由だ。
マツダスピード。
RE雨宮。
FEED。
KNIGHT SPORTS。
AutoExe。
選べる、という自由。
選ばなければならない、という苦悩。
──それは、ただのパーツ選びじゃない。
自分はどんな“走り”を信じるのか。
このクルマに、どんな“物語”を刻みたいのか。
その問いと、真っ向から向き合う時間だ。
ノーマルのままでも、十分に美しい。
けれど、僕たちは手を加えた。
リップスポイラーを変え、ダクトを足し、マフラーの音に個性を宿した。
「これが、俺のFDだ」と言いたくて。
いや、言わなくても、ただ見てわかるように。
それはまるで、未完成のアートに筆を入れる行為だった。
塗りすぎれば野暮になる。
控えすぎれば物足りない。
チューニングとは、センスと哲学の表現だ。
そして迷いながらも自分の“美意識”を形にしていく過程そのものが、
このクルマとの“対話”なのかもしれない。
今となっては、あの悩んだ日々が愛おしい。
カタログと睨めっこした夜。
走り仲間に相談した昼下がり。
雑誌を読み返した深夜のガレージ。
──あの時間こそが、
FD3Sと「本当に向き合った証」だったのだ。
“譲ります”という言葉を何度も打ち消した日々
子どもが生まれたとき、家を買ったとき、車検で大きな修理費用が発生したとき──「FD3S 譲ります」と検索しては、画面を閉じることを繰り返した。
それでも、結局手放せなかった。
FD3Sは“モノ”じゃない。“記憶”なんだ。
レストアというロマンとリアル
FD3Sはその設計上、年々維持が難しくなっている。しかし同時に、レストアによって再び走り出す姿は、多くのオーナーにとって“希望”そのものだ。エンジンのOH(オーバーホール)、足回りのリフレッシュ、ボディ補強や内装再生——それぞれが、走る芸術を復元する儀式でもある。
時間は、誰にも平等に流れる。
でも、あのクルマだけは──走りを止めても、心の中では止まっていなかった。
FD3S。
その設計は90年代の美意識の結晶であり、同時に“儚さ”を抱えた機構でもある。
年月が経てば、劣化は避けられない。
エンジンは摩耗し、足回りは緩み、内装は静かに色褪せていく。
だけど、だからこそ美しい。
それでも「もう一度、走らせたい」と願う者たちの手で、彼らは甦る。
エンジンのオーバーホール。
足回りのリフレッシュ。
ボディの補強。
内装の張り替え。
それは、単なる修復作業ではない。
──儀式だ。
走りの記憶を紡ぎ直す、魂の再構築だ。
部品供給? もちろん厳しい。
けれど、マツダは「ヘリテージパーツ」の名のもとに、再供給を始めてくれている。
社外パーツの知恵。
中古市場の目利き。
時には他車種からの流用という“創造的整備”。
そのすべてが、「まだ走りたい」という意志の表れ。
エンジンに火が入った瞬間、
長く眠っていたマシンが目を覚まし、
ロータリーの鼓動がガレージに響く。
あれは、まさに希望の音だ。
FD3Sは、ただの旧車じゃない。
走るたびに、蘇る芸術だ。
そして僕たちは、その再生に関われる、幸運な時代に生きている。
チャコールキャニスター——無言の警告
クルマにとって、本当に恐ろしいのは、走っているときだけじゃない。
──止まっているときすら、危険は潜んでいる。
FD3Sの車体後方。
そこにひっそりと設置された、一見“地味”な部品がある。
チャコールキャニスター。
揮発したガソリンを吸収し、大気放出を抑えるという、裏方の機能部品だ。
しかし、それが朽ちたとき、
物語は突然ホラーに変わる。
ゴムホースの劣化、キャニスター内部の詰まり、バルブの固着──
ガソリン臭が車内に漂い始めたら、それはただの“匂い”じゃない。
小さな亀裂が、やがて引火という悲劇を呼ぶ“導火線”になる。
実際、みんカラやYahoo!知恵袋にはこんな声がある。
「チャコールキャニスター、もう廃番でした」
「後ろからガソリン臭がするんです、でも原因が分からない」
──気づいた時には、もう遅いかもしれない。
純正は品薄、もしくは入手困難。
だが、だからこそ“知恵”と“予防”が重要になる。
・互換品の確保
・ホースの点検
・設置位置の再確認
・車検での重点チェック
これらは、FD3Sと“これからも走り続ける”ための小さな保険だ。
僕たちは、走るだけじゃない。
「守る」ということもまた、走りの一部なのだ。
忘れないでほしい。
FD3Sは、美しさと儚さを併せ持つ存在。
だからこそ、守る手にも、覚悟と愛が必要なのだ。
なぜ、僕は今もFD3Sと走っているのか
FD3Sは“走るために生まれた詩”だ
FD3Sの魅力とは、スペックの合計ではなく、「美しさ・革新・運転体験・物語すべてが一瞬に重なること」にある。だから、今もこの車が色褪せず、見るだけでなく走り続ける人々の胸の奥に灯りをともすのだ。
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流れるフォルムと低重心の美しさ
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革新的なロータリーとターボの融合
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世界級のハンドリング性能
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レーシングカーのようなコクピット
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カルチャーと記憶に根ざす存在感
FD3Sは、ただ乗るのではない。心で“語りかける相棒”だ。
ロータリーが繋いだ縁──FD3Sがくれた“走る絆”
Instagramに、何気なくFDの写真を上げはじめたある日。
誰かが「いいね」をくれた。
名前も知らない、その人は、やがてDMでこう言ってきた。
「自分も、FDに乗っています」──。
たった一行のメッセージが、僕の世界を静かに変えていった。
遠く離れた街。
違う時間を走る人生。
でも、共通していたのは、あの独特のロータリーサウンドと、
FD3Sという“走る魂”を信じていることだった。
SNSというデジタルの海に、確かにあった“機械越しの共鳴”。
箱根に咲いた6つの魂──オフ会という名の儀式
「今度、集まりませんか?」
その一言から始まった、箱根のFDオフ会。
集まったのは、色も仕様も違う6台のFDたち。
RE雨宮、マツダスピード、フルノーマル…
でも、どれも“たった一つのFD”だった。
並んだ姿は、まるで交差する6つの人生。
ロータリーという小さな鼓動が、見知らぬ者同士を繋いでいた。
誰かがボンネットを開け、誰かが脚を覗き込み、
「このセッティング、いいですね」なんて言葉が交わされるたび、
クルマじゃない、人と人の距離が縮まっていった。
別れ際に交わした「また、一緒に走ろう」という言葉。
それはただの社交辞令じゃない。
このクルマが与えてくれた、“心の居場所”を確認し合う、合図だったのかもしれない。
FD3Sという“媒介者”
FD3Sは、ただのマシンじゃない。
走りを楽しむだけのツールでもない。
誰かと出会わせてくれる。
誰かと語らせてくれる。
そして、孤独な夜に「君はひとりじゃない」と、静かに伝えてくれる。
このクルマがいなければ、
繋がらなかった縁が、確かにあった。
僕は、そんなFDに今でも感謝している。
走ってきた道も、これからの道も、
この“絆”と共に、走り続けていきたい。
スペックじゃない、“意味”があるから
FD3Sの最高出力は、280馬力。
令和のこの時代、
環境性能やトルクに優れたEV、ハイブリッド車が静かに地平線を越えていく世界では、
もしかするとこの数字は、過去のものなのかもしれない。
けれど、僕ははっきりと言える。
「そんなものは関係ない」と。
なぜなら、あの加速に、
あのステアリングの手応えに、
あのロータリーの鼓動に、
──「意味」があったからだ。
数字だけなら、いくらでも並べられる。
でも、FDと過ごした時間は、
単なるスペック表では語れない“感情の軌跡”だった。
・アクセルを踏み込んだ瞬間に広がる、あの音の世界。
・タコメーターの針が、魂を引き上げるように跳ねる瞬間。
・夜の高速道路で、ヘッドライトに照らされた白線を追いかける、静かな孤独。
それは、馬力でもトルクでも語れない。
“自分にとってのクルマ”という存在価値そのものだった。
EVがどれほど静かで速くても、
あのロータリーの“ざらついた音”に宿る“人間らしさ”はない。
だからこそ、僕はFD3Sを選び続ける。
それは速さだけじゃない。
数値でもない。
他人に見せつける何かでもない。
「自分が、自分でいられる走り」──その意味をくれたクルマ。
それが、FD3Sだった。
「走ることは、生きること」──そう思わせてくれる存在
20代。
あの頃、僕はただスピードに憧れていた。
カタログスペックを暗記し、ゼロヨンのタイムに一喜一憂し、
峠で背中に汗をかきながら、夢中でステアリングを握っていた。
30代。
現実という坂道に差し掛かり、
FD3Sの“持病たち”と真剣に向き合うようになった。
白煙、オイル漏れ、ブースト不調…。
それでも「手をかければ応えてくれる」という言葉を信じて、
僕はこの車と向き合い続けた。
そして今──40代。
少しだけ静かに、でも確かに。
FDの“味わい”を噛みしめている。
ただ速ければいいわけじゃない。
ただ壊れなければいいわけでもない。
“このクルマと、どう生きたか”──
それこそが、僕にとっての価値になった。
執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)
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