雪が、街灯の光の中で斜めに流れていた。20代の僕は、ショーウィンドウの向こうのランサーエボリューションを、ただ見ていることしかできなかった。手の届かない憧れだった。給料を全部つぎ込んでも、とても維持しきれない、あの過激さ。
それから二十年。
大人になった僕の前に、もう一つの答えが現れた。同じ三菱の、同じ4B11という心臓を積みながら、もう少しだけ肩の力を抜いた一台。三菱 ギャランフォルティス ラリーアート。型式はセダンがCY4A、スポーツバックがCX4A。
エボの遺伝子を、日常着で纏う車。今夜は、この「勇敢な」という名を持つ四駆セダンの話をしよう。雪道の匂いと、ツインクラッチの小さな身震いとともに。
ギャランフォルティス ラリーアートとは──エボXと血を分けた兄弟

2008年、三菱は北米のオートショーで、ある車を発表した。同年7月、日本にも追加された。それがギャランフォルティスのラリーアート仕様だ。
ベースとなったプラットフォームは、あのランサーエボリューションXと共通。つまりこの車は、エボと血を分けた兄弟なのだ。心臓も同じ、4B11型の2.0リッターターボ。けれど性格は、ずいぶん違う方向に育てられた。
「FORTIS」とは、ラテン語で「勇壮な」「勇敢な」を意味するという。エボのように牙を剥き出しにするのではなく、勇敢でありながら、普段着で街を歩ける。そういう佇まいを、三菱はこの車に与えようとした。
ボディは二種類。4ドアセダンのCY4Aと、5ドアハッチバックのスポーツバックCX4A。とりわけスポーツバックは、大開口のテールゲートと分割可倒式のリアシートを持ち、走りと実用を一台で背負う、なんとも欲張りな構成だった。エボには、こういう懐の深さはない。家族と、趣味と、その両方を諦めたくない大人のための四駆。それがラリーアートの立ち位置だった。
4B11ターボ240馬力とツインクラッチSST──スペックを五感で読む

心臓の話をしよう。4B11、直列4気筒2.0リッターDOHC、MIVECを備えたターボエンジン。最高出力は240ps/6000rpm、最大トルクは35.0kgm/3000rpm。過給器はシングルスクロールのターボだ。
この数字を、机上で眺めても何も伝わらない。大切なのは、トルクが35.0kgmという厚みを、わずか3000rpmで出し切るという事実だ。つまり、低い回転から、ぐっと背中を押してくる。アクセルを軽く踏んだだけで、車体が前のめりに走り出す。日常の速度域で一番おいしいところを、この4B11は太く使える。エボのように高回転まで引っ張らなくても、十分に速い。それが、街で乗ったときの心地よさになる。
組み合わされるのは、ゲトラグ製の6速デュアルクラッチトランスミッション。三菱が「ツインクラッチSST」と呼ぶ、当時としては先進的な機構だ。二つのクラッチが、次のギアをあらかじめ握って待っている。だから変速が速い。パドルを引けば、間髪入れずに段が変わり、4B11の唸りが一段高くなる。
正直に書いておく。マニュアルミッションの設定は、この車にはない。「ギャランフォルティス ラリーアート MT」と検索する同志の気持ちは分かる。あの直線的なクラッチワークで、自分の手と足だけで操りたい。けれど、用意されたのはSSTだけだ。その代わり、このツインクラッチは、自分でシフトする楽しさの一部を、確かに肩代わりしてくれる。
シフトアップの瞬間、背中に小さな衝撃が走る。タコメーターの針が落ちて、また駆け上がる。アクセルを戻したときの、わずかなオーバーラン音。それらは、ただの移動を、ささやかな高揚に変えてくれる。スペック表の「240ps」という数字の裏には、こういう体感が隠れている。
うんちくをひとつ。このSSTは、ドイツのゲトラグ社が手がけたものだ。当時、デュアルクラッチといえば欧州の高級スポーツの代名詞で、ポルシェのPDKやフォルクスワーゲンのDSGが先行していた。そこへ三菱が、日本車として、しかもこの価格帯でツインクラッチを投入した。いま振り返れば、ずいぶんと意欲的な挑戦だった。5速と6速をハイギアード化して燃費を稼ぐといった気配りも、抜かりがない。
朝、エンジンをかける。4B11が低く目を覚まし、わずかなターボの気配を含んだ排気音が、ガレージのコンクリートに反響する。冷えた空気に、かすかな燃焼の匂いが混じる。その瞬間、僕はいつも、この車が「ただの実用車ではない」ことを思い出す。普段着の下に、確かに鍛えられた肉体が隠れている。それを知っているのは、ハンドルを握る自分だけだ。
「ラリーアート」という名前が背負うもの

そもそも、ラリーアートとは何か。この名前を、ただのグレード名だと思っているなら、少しもったいない。
ラリーアートは、かつて三菱のモータースポーツ活動を担った、その名も三菱ラリーアートという組織に由来する。パリ・ダカールラリーで何度も砂漠を制し、WRCの舞台でトミ・マキネンが四年連続のチャンピオンを獲った、あの輝かしい時代。その血と汗の結晶が、この四文字には染み込んでいる。
だから、ギャランフォルティスにこの名が冠されたとき、それは単なる装飾ではなかった。エボほど尖ってはいないけれど、三菱の四駆スポーツの遺伝子を、たしかに受け継いでいる。そういう宣言だった。バッジひとつに、メーカーの歴史と矜持が宿る。車という工業製品の、こういう物語性が、僕はたまらなく好きだ。
残念ながら、三菱ラリーアートというブランドは一度、その活動に幕を下ろした。だからこそ、この名を正式に背負った市販車は、貴重なのだ。砂漠と雪原で鍛えられた名前を、ナンバープレートを付けたまま、公道で味わえる。それは、思いのほか贅沢な体験なのだと思う。
ランエボXとの違い──「過激」を一歩降りた理由

この車を語るとき、どうしても比べてしまう相手がいる。兄である、ランサーエボリューションXだ。
同じ4B11、同じSST、同じ4WD。だが、中身の煮詰め方が違う。エボXは280ps、43.0kgmという数字を、ツインスクロールターボで叩き出す。さらにスーパースポーツモードやローンチコントロールを備え、機械式の本格的な姿勢制御で、コーナーを暴力的なまでに曲げていく。サーキットで時計を削るための道具だ。
対するラリーアートは、240ps、35.0kgm。ターボはシングルスクロール。スーパースポーツモードもローンチコントロールも持たない。駆動はACD、アクティブセンターデフを核としたフルタイム4WD。エボのような過激さは、意図的に一歩、降りている。
「エボとは似て非なる存在」(webCG 試乗速報のサブタイトルより)
この「似て非なる」という言葉が、すべてを言い当てている。ラリーアートは、エボの劣化版ではない。過激さと引き換えに、日常の懐の深さを手に入れた、別の答えなのだ。
どちらが幸せか。それは、その人がどう走るかによる。峠で限界を攻め続けたいならエボがいい。だが、雪の朝に子どもを送り、夜にひとり高速をゆったり流し、ときどき本気を出す。そういう乗り方を望むなら、ラリーアートの方が、ずっと長く隣にいてくれる。僕は、こういう「過激の一歩手前」に、大人の色気を感じてしまう質なのだ。
若い頃の僕なら、迷わずエボを選んだだろう。数字が大きい方が、速い方が、正義だと信じていた。けれど、いくつもの車を乗り継ぎ、いくつもの夜を走り抜けてきた今は分かる。毎日連れ添える速さの方が、年に数回しか引き出せない刺すような速さより、よほど豊かなのだと。ラリーアートは、そのことを静かに教えてくれる一台だ。背伸びをやめた大人が、それでも諦めきれなかった鼓動を、無理なく抱えていられる場所。それが、この車の本当の居場所だと思う。
SSTの故障と向き合う──ツインクラッチという宿題

美点ばかりを並べるのは、誠実ではない。この車を中古で選ぶなら、避けて通れない宿題がある。ツインクラッチSST、その健康状態だ。
すでにこの車は、最も新しい個体でも10年落ちの域に入っている。デュアルクラッチは、構造が緻密なぶん、整備の履歴が状態を大きく左右する。クラッチの摩耗、メカトロニクスの作動、変速時の異音やショックの有無。それらは、試乗とメンテナンス記録でしか見抜けない。
先日、三菱車に強い中古車店の主人に話を聞いた。彼の言葉を、そのまま記しておく。
「SSTは、ちゃんと整備されてきた個体なら、まだまだ気持ちよく走る。怖いのは、油脂類の交換をサボられた車だ。低速の半クラ制御に出るからね。試乗して、発進でギクシャクしないか、渋滞でストレスがないかを必ず確かめてほしい。記録簿が残ってる車を選べば、まず外さないよ」
運転感覚にも、好みが分かれる部分がある。停止からの発進で、わずかなラグを感じることがある。マニュアルモードにしても、根は自動変速機だ。湿式多板の人間味のあるMTを期待すると、肩透かしを食らうかもしれない。だが、慣れてしまえば、この賢いツインクラッチは頼もしい相棒になる。要は、付き合い方を知っているかどうか。機械の癖は、欠点ではなく、その車だけが持つ訛りのようなものだ。
付け加えるなら、SSTは定期的な専用オイルの交換と、信頼できる整備工場との付き合いがあってこそ、本領を発揮する。三菱車を長く診てきた工場なら、この機構の勘どころを心得ている。中古で手に入れたら、まず一度、そういう店で全体を診てもらう。その一手間が、この車との関係を、ずっと穏やかなものにしてくれるはずだ。
4WDと雪道、そして中古相場──いま選ぶ価値

ラリーアートの真価が出るのは、路面が牙を剥いたときだ。電子制御フルタイム4WDに、ACDが前後の駆動力を最適に配る。雪道での安定感は、この出自を考えれば当然のこと。三菱の四駆は、ラリーで鍛え上げられた血統なのだから。
雪国に住む昔の走り仲間が、数年前にこのスポーツバック ラリーアートを手に入れた。彼は電話口で笑っていた。「エボは欲しかった。でも維持が無理だった。これは正解だよ。雪の交差点で、四本のタイヤが地面を掴んでる感覚がある。それでいて、後ろに荷物も積める」と。タイヤがアスファルトの下の雪を噛む、あの低い手応え。彼の声には、若い頃には手に入らなかったものを、ようやく掴んだ満足が滲んでいた。
中古相場も、いまは追い風だ。専門誌のベストカーは、この車を「100万円台で240psは破格、6速DCT搭載スポーツ4WD」と評していた。実際の相場は、状態によるが、おおむね100万円から180万円。狙い目は総額150万円前後だ。とりわけスポーツバックのラリーアートは流通が少なく、程度のいい個体に出会えたら、それは縁だと思っていい。
選ぶときに迷うのが、セダンのCY4Aにするか、スポーツバックのCX4Aにするか、だ。セダンは、リアの張り出したトランクが生む、どこか実直な佇まいがいい。一方スポーツバックは、後ろ姿に躍動感があり、何より荷室の使い勝手が段違いだ。リアシートを倒せば、タイヤの四本くらい平気で飲み込む。走りの道具でありながら、暮らしの道具でもある。僕がもし一台を選ぶなら、欲張りを承知でスポーツバックを選ぶだろう。趣味と日常を、一台で両立させたいという我儘のために。
みんカラのオーナーたちの言葉を読んでいると、この車を長く愛する理由が見えてくる。「エボほど気を張らずに、毎日乗れる」「四駆の安心感がありながら、踏めばちゃんと速い」「ラリーアートのバッジが、所有する満足を満たしてくれる」。派手さはない。けれど、生活の真ん中に置ける速い四駆。その希少さに、いま、多くの大人が気づき始めている。
維持費は、2.0リッターターボ+4WDという中身相応にかかる。ハイオク指定で、燃費も褒められたものではない。だが、同じ性能を新車で得ようとすれば、いまや何倍もの金額になる。エボの遺伝子を、この値段で。そう考えれば、ずいぶんと得難い買い物ではないだろうか。
よくある質問
ギャランフォルティス ラリーアートにMT(マニュアル)はありますか?
純正のマニュアルミッションは存在しない。組み合わされるのはゲトラグ製6速ツインクラッチSST(デュアルクラッチ)のみだ。パドルシフトでマニュアル操作はできるが、左足クラッチのMTではない点は理解しておいてほしい。
ランサーエボリューションXとの違いは何ですか?
同じ4B11ターボとSST、4WDを共有するが、エボXが280ps/43.0kgm・ツインスクロール・本格的な姿勢制御を備えるのに対し、ラリーアートは240ps/35.0kgm・シングルスクロールで、低中速トルクと日常性を重視している。過激さより実用バランスを選んだ兄弟車だ。
ツインクラッチSSTは壊れやすいですか?
構造が緻密なぶん、整備履歴の影響を強く受ける。油脂類の交換が適切な個体なら良好だが、整備を怠られた車は低速の半クラ制御に不調が出やすい。中古選びでは試乗と記録簿の確認が欠かせない。
雪道には強いですか?
強い。電子制御フルタイム4WDにACD(アクティブセンターデフ)を組み合わせ、三菱がラリーで培った四駆技術を受け継いでいる。雪道や悪路での安定感は、この車の大きな美点だ。スタッドレスを履かせれば、雪国の日常でも頼れる相棒になってくれる。
維持費は高いですか?
2.0リッターターボ+4WDという構成相応にかかる。ハイオク指定で燃費もよくはない。ただし中古相場は100万〜180万円と手頃で、同等性能を新車で買うことを思えば、総合的には割安と言える。
まとめ

ギャランフォルティス ラリーアートは、エボになり損ねた車ではない。過激さを一歩降りた場所で、日常と趣味の両方を抱きしめることを選んだ、勇敢な四駆だ。
あの雪の夜、ショーウィンドウの前で立ち尽くした青年は、もういない。代わりに、四本のタイヤで雪を噛みしめながら、家族と荷物と、自分の胸の奥の熱を、同じ車に積んで走る大人がいる。
手の届かなかった憧れに、別の形で追いついた。そういう車が、世の中にはたしかにある。あなたの雪道の隣に、この一台がいてくれたら。きっと、悪くない夜になるはずだ。
執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)



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