朝、スマホに一枚の写真が届いた。
送り主は、20代の頃にS14シルビアで深夜の峠を流していた仲間のひとりだ。結婚し、子どもが生まれてから、彼は車から距離を置いた。ミニバンを買い、SUVを買い、ハンドルを家族に明け渡したように見えた。──だが、その朝の写真には、白いハッチバックの後ろに、赤いNISMOのステッカーが斜めに張られていた。
「ノートニスモ S。5MT。妻も子も乗せられて、シフトダウンの音もそのまま残してある。──これでいい」。短いメッセージだけが添えてあった。
あれは、走り屋を「降りた」のではなかったのだと、いまになってわかる。彼はただ、自分の人生のサイズに合う赤い火を、コンパクトハッチの形で探し直していただけだ。
同志よ。コンパクトカー=家族の道具、という固定観念は、もう一度疑ってみていい。ノートニスモは、その疑いの正当性を、いまも静かに証明し続けている。
NISMOロードカー第5弾という、コンパクトへの本気

2014年10月。日産は、コンパクトハッチバック「ノート」(E12型)をベースに、NISMOロードカーシリーズの第5弾として「ノートNISMO」を発売した。Car Watchの発売告知によれば、価格は195万2,640円から。ラインナップは「ノート ニスモ」と「ノート ニスモ S」の2グレード構成だった。
NISMOロードカーは、それまでに4台が世に出ていた。ジュークNISMO(2013年2月)、エルグランドNISMO(2013年8月)。続いてマーチNISMO(2013年12月)、フェアレディZ NISMO(2014年8月)の4台だ。NISMO公式の沿革でも、ノートNISMOは「第5弾」として位置付けられている。
ここで僕がいちばん心を動かされたのは、敢えてコンパクトカーのノートをその並びに置いた、という事実だった。フラッグシップのフェアレディZや、グローバル戦略車のジュークと並べた、ということ。コンパクトNISMOは、マーケティング上の都合だけで生まれたモノではない。「走りを諦めたくない」という、メーカーの底にあった意志の発露だった──そう、僕は信じている。
知り合いの日産営業マンが、当時のことを覚えていた。「ノートNISMOが発表されたとき、家族でミニバンを乗り継いできた40代のお客さまが、何人も『試乗だけしたい』とフラっと来店されたんです。家庭の事情で大きい車になっていただけで、走りそのものを諦めていたわけじゃなかった人たちなんだと、その時に気づきました」。
ノートニスモと、ノートニスモS──同じ赤でも、別の物語

ノートNISMOには、2つの顔がある。スタイル重視の「無印」と、走り重視の「S」だ。同じ赤いNISMOバッジを纏(まと)っていても、内側に抱えているエンジンも、足回りも、ブレーキも、別物に近い。
ノートニスモ(無印)──スーパーチャージャー1.2Lの上品な火
無印のノートニスモが搭載するのは、HR12DDR型 1.2L 直列3気筒DOHC スーパーチャージャー。最高出力98PS/5,600rpm、最大トルク142Nm/4,400rpm。トランスミッションはCVT。当時のガリバー購入ガイドでも、「スタイル優先ならノートニスモ」という棲み分けで紹介されていた。
このCVT+スーパーチャージャーという組み合わせは、刺激的な加速感を演出するためのものではない。むしろ、低回転からの上品な押し出しと、街の交差点ひとつ通り抜けるごとに穏やかに伸びていく感覚を、日常使いの範囲で楽しませる。「家族用に1台」という条件の中で、それでも走りの気配を残しておきたい人の選択だった。
ノートニスモ S──HR16DE 140PS、5MTという贅沢
そして、Sだ。HR16DE型 1.6L 直列4気筒DOHC NA、専用チューンで140PS/6,400rpm、163Nm/4,800rpm。トランスミッションは5速MT専用。リアブレーキはディスク。webCGの試乗記は、このノートニスモSを「街と峠とサーキットの中間で、いちばん遊べる一台」と評価した。
専用エンブレム、専用本革・アルカンターラ巻3本スポークステアリング、専用シート、赤いステッチ。Sの内装に座って夜の信号待ちをすると、赤いステッチが、信号の赤と呼応するように、低く光るような熱を持っている。停車中ですら、車のほうが「次にどう走るか」を問いかけてきているようだった。
無印はスタイル、Sは中身。同じ赤い火を抱いていても、温度が違う。家族車として無印を選ぶこと、5MTを残したくてSを選ぶこと、どちらも正しい。「正しい走りの選択肢は一つだけだ」と決めつける必要はない。
HR16DE 専用チューンと、リアディスクブレーキの覚悟

ノートニスモSの心臓部、HR16DE型エンジンに与えられた専用チューンの中身は、想像以上に「物理的な手入れ」だった。日産公式の諸元表をたどると、専用ピストン、専用カムシャフト、専用吸気系、専用エキゾーストシステム、専用ECM(エンジンコントロールモジュール)が並ぶ。ベースの109PSから140PSへ、約3割の出力アップ。
これは、コンピューターのプログラムだけで絞り出した数値ではない。エンジンの「内側」に手を入れて、回転の伸び方そのものを設計し直したものだ。──そこに、僕はNISMOというブランドの矜持を見る。
特筆すべきは、リアディスクブレーキの採用だ。ベースのノートも、無印のノートニスモも、リアはドラムブレーキ。リアディスクが奢られるのは、ノートニスモSだけ。これは「街乗りで終わらせない」という設計思想の、いちばん分かりやすい証明だった。減速の安定感、ペダルタッチの剛性感、そして連続的なブレーキングでの粘り。サーキット走行を視野に入れた、覚悟の装備である。
専用チューンと聞いて、エキセントリックなフィルターでパワーを絞り出した感じを想像してはいけない。HR16DEに与えられたのは、低回転から素直に伸び、3000回転を超えてから音色が変わる、上品な伸びだった。──夕暮れに飲んだコーヒーが、口の中に置き去りにした、ささやかな甘み。あの種類の余韻が、このエンジンには確かに宿っている。
e-POWER NISMOと、e-POWER NISMO S──電気で運転する歓び
2016年11月、ノートに「e-POWER」が追加された。エンジンを発電に専念させ、駆動は完全にモーターが担うという、シリーズハイブリッドの新しい解だった。そして翌年、そのe-POWERにもNISMOが与えられる。webCGの試乗記は、これを「シリーズハイブリッドのNISMO市販車第1号」として評価している。
続いて2018年9月、さらに上位の「ノート e-POWER NISMO S」が追加された。価格.comマガジンの記事によれば、モーター出力136PS、トルクは32.6kgm。これは3.0L V6ガソリンエンジンに相当する数値だ。コンパクトハッチに、3L V6級のトルクが収まっている。
ドライブモードは6種類に拡張された。Dレンジに「S/ノーマル/ECO」、Bレンジに「S/ノーマル/ECO」。Bレンジは強い回生で、Sモードと組み合わせれば、右足だけで加速と減速をコントロールするワンペダル走行が可能になる。
3L・V6ガソリンエンジンに匹敵するトルクが与えられ、ジェット機のようにスムーズな加速感を実現している。(価格.comマガジンより)
知り合いの日産営業マンが、こんな話をしてくれた。「e-POWER NISMO Sを試乗していただくと、ほぼ全員、最初のフルアクセルで顔が変わるんです。あの32.6kgmの押し出され感は、コンパクトカーで体験できる加速の範疇を超えていますから」。彼の話には、商売っ気よりも、技術への純粋な誇りが滲んでいた。
正直に言えば、内燃機関の信奉者として、僕はe-POWER NISMO Sの加速を認めるのに、少しだけ時間がかかった。エンジン音と回転計とアクセルがひとつの呼吸でつながる感覚を、長く愛してきた人間にとって、モーターの即時応答は「速い」のではなく「別の何か」だ。だが、ハンドルを握って数分も経つと、その「別の何か」が、内燃機関とは異なる種類の歓びを連れてくることを、認めざるを得なかった。
ノートニスモ 中古──Sの5MT個体は、もう簡単には出てこない

ノートとしてのNISMO仕様は、2020年12月、2代目E12型ノートの生産終了とともに新車市場から消えた。3代目E13型ノートには、NISMO仕様は設定されなかった。
では、中古市場の現在はどうか。カーセンサーがまとめた相場記事と、グーネットの掲載個体を併せて見ると、おおむね次のような価格帯になる。無印のノートニスモは29.8万〜154.9万円、ノートニスモSは50.8万〜200万円、e-POWER NISMOは90万〜200万円。タマ数は無印とe-POWERのほうが多く、Sの5MT個体は明らかに細い。
都内のホットハッチ専門店の店主と、年末に話す機会があった。彼の言葉が、いまの相場をいちばん正直に表していた。「ノートニスモSの5MT個体は、2020年に新車生産が終わってから、流通の細さがエスカルゴ並みになっています。後継のオーラNISMOにはMTがありませんから、純粋にMTでNISMO仕立てが欲しい人は、いまノートニスモSを取りに行くしかない」。
ノートニスモSの5MTは、運転席に座って、シフトレバーを握り、クラッチを踏み、低い排気音に耳を傾けるだけで、何かと会話を始めるクルマだ。クルマと会話する──この言い回しを使うのは、僕の文章のなかで年に数えるほどしかない。だが、HR16DE+5MT+リアディスクという組み合わせは、確かにそれを許してくれる一台だった。
「いまが底値」ではなく、もう底を打った。それが、この一台の中古市場の現在地である。
ノートとしてのNISMOが終わり、オーラNISMOへ繋がれたもの

「ノート ニスモ」という6文字の看板は、いま新車市場には存在しない。だが、その火は別の名前で、形を変えて燃え続けている。
2021年8月、3代目ノートの上級派生車「ノート オーラ」に、NISMO仕様が設定された。NISMO公式のニュースによれば、2024年7月のマイナーチェンジで「NISMO tuned e-POWER 4WD」も追加された。e-POWERでの4WD、そしてNISMO仕立て。「ノート ニスモ」の時代には存在しなかった組み合わせだ。
ただし、MTは設定されていない。「ノート ニスモ S」が持っていた5MTという要素は、現行のオーラNISMOには受け継がれなかった。これは、シリーズハイブリッドのアーキテクチャを徹底するという日産の選択でもある。同時に、5MTのコンパクトNISMOを求める人が、いまノートニスモSの中古市場へ向かう理由でもある。
「ノート ニスモ」という名前が新車として消えても、コンパクトNISMOの系譜は、オーラNISMOという形で繋がれた。それは寂しさよりも、ひとつの引き継ぎとして受け止めたい。──そう、僕は思っている。
よくある質問
ノートニスモとノートニスモSの違いは何ですか
ノートニスモ(無印)はHR12DDR 1.2L 3気筒スーパーチャージャー、98PS、CVT。ノートニスモSはHR16DE 1.6L 4気筒NA専用チューン、140PS、5MT専用。リアディスクブレーキ、専用本革ステアリング、専用シートはSのみに装備されます。スタイル重視なら無印、走り重視ならSという棲み分けです。
ノートニスモ Sの5MT中古はいくらしますか
2026年現在、ノートニスモSの中古相場はおおむね50.8万〜200万円。年式、走行距離、修復歴の有無で大きく分散します。後期型、低走行、無修復のMT個体は値落ちが緩やかで、現行のオーラNISMOに5MT設定がない以上、希少価値は緩やかに上昇する見通しです。
e-POWER NISMOとe-POWER NISMO Sの違いは何ですか
e-POWER NISMOは2016年11月追加、e-POWER NISMO Sは2018年9月追加の上位版です。Sはモーター出力136PS、トルク32.6kgm。これは3L V6ガソリンエンジン相当の数値です。ドライブモードはDレンジに「S/ノーマル/ECO」、Bレンジに「S/ノーマル/ECO」の計6種類を搭載しています。
ノートニスモは生産終了していますか
はい。2代目ノート(E12型)の生産終了とともに、2020年に「ノート ニスモ」という名前の新車販売は終わりました。3代目ノート(E13型)にはNISMO仕様の設定はなく、後継は派生車「ノート オーラ NISMO」(2021年8月発売)に移行しています。
いま中古でノートニスモを買うなら、どれを選ぶべきですか
「5MTで遊びたい」ならノートニスモS、「e-POWERの加速感を味わいたい」ならe-POWER NISMO S。「コンパクトなNISMO仕立てを日常使いにしたい」なら無印。予算と用途で選び方が変わります。Sの5MTは個体差が大きいため、整備記録の確認をお勧めします。
まとめ

ノートニスモは、家庭を持って走りを諦めた大人のために、メーカー自身が用意した小さな赤い旗だった。コンパクトカーに、NISMOというバッジを与えること。それは、マーケティング上の戦略であると同時に、走ることを諦めなかった全ての同志への、静かな贈り物でもあったのだと思う。
5MTでHR16DEを操るSも、CVTでスーパーチャージャーの上品な押し出しを楽しむ無印も。そして、3L V6相当のトルクをモーターで叩き出すe-POWER NISMO Sも。それぞれが別の物語を持っている。だが、内側に宿っている赤い火は、同じものだ。
コンパクトに宿った赤い火は、いま誰かのガレージで、まだ静かに燃えている。──あなたのガレージには、その火を迎え入れる余白が、まだ残っているだろうか。
執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)
情報ソース一覧
- 日産、NISMOシリーズ第5弾「ノートNISMO」発売、195万2640円から | Car Watch
- 日産ノートNISMO S(FF/5MT)【試乗記】惹きつけられるものがある | webCG
- NISMO | NISMOの歴史 | NISMOコンプリートカーからNISMOロードカーへ
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