アバルト595、サソリのバッジが伝えてくる小さな抵抗──1963年から続く2026年の遺産

輸入車

日曜の朝、近所の駐車場の片隅で、赤い小さなカブリオレがソフトトップを開けたところだった。

運転席にいたのは、20代の頃にEK9シビックType Rで深夜の峠を流していた友人だ。結婚し、子どもが生まれ、ミニバンを買い、いったん車から離れたように見えた男。その彼が、家族車の二台目として選んだのは、赤いアバルト595C コンペティツィオーネの5MTだった。屋根が下がりきった瞬間、低い咳き込みのようなアイドル音が、駐車場の空気にこぼれた。レコードモンツァのデュアル排気だ。

「日本の路地に合うサイズで、5MTで遊べて、屋根を開ければ20代の頃の自分に戻れる。これしかなかった」と彼は照れたように笑った。

同志よ。コンパクトカーに「異質な香り」を求めることは、過去にしがみつくことではない。アバルト595のフロントに小さく光るサソリのバッジは、1963年のあの一台から、いまの日本の路地まで、確かに繋がっている。

1963年のFIAT ABARTH 595──サソリの遺伝子は、ここから始まった


「595」という数字は、排気量から来ている。アバルト公式SCORPION MAGAZINEの解説によれば、1963年に登場した「FIAT ABARTH 595」は、フィアット500の499ccエンジンを595cc相当(実排気量593cc)に拡大した一台。最高出力は27hp。当時の若いファンに向けて、カルロ・アバルトが手がけた「アバルト・マジック」と呼ばれるチューニングが施されていた。

サソリのエンブレムは、ただのブランドマークではない。1949年、トリノで「ABARTH&C.」を立ち上げた創業者カルロ・アバルトが、自身の星座であるさそり座から選んだ、生身の人間の刻印だった。──ホンダのカム、ランボルギーニの猛牛、フェラーリの馬。創業者の体温が残るブランドは、世界に数えるほどしかない。アバルトは、そのうちの一つだ。

1971年、アバルトはFIATに買収され、ラリー競技車製作部門として吸収された。市販車としてのアバルト「595」は、いったん歴史の中に静かに沈んだ。

そして2007年、ブランドとして正式に復活する。グランデプント、500をベースに、サソリのバッジを蘇らせたモデルが市場に戻ってきた。日本市場で「アバルト595」の名が再び新車として並んだのは、2013年1月のことだった。

50年という時間を挟んで、サソリのバッジは、フィアット500ベースのコンパクトカーに、もう一度宿ったのだ。──現代の「アバルト595」を見るときに、僕はこの50年の沈黙の時間を、いつも頭の隅に置いている。

現代アバルト595の3グレード──Base・Turismo・Competizione


現代のアバルト595は、同じ1.4L 直4 ターボ「T-Jet」エンジンを共有しつつ、3つのグレードに棲み分けている。Car Watchの一気乗り試乗インプレでも、「同じ車体に3つの個性」と表現された棲み分けだ。

Base(595)──未完成の若さ、145PS

ベースグレードの「595」は、最高出力145PS/5,500rpm、最大トルク210Nm/3,000rpm。ブレンボブレーキやレコードモンツァなどの上位装備は付かないが、サソリのバッジと1.4Lターボの素性は十分に味わえる。「未完成の若さ」のような、伸びしろを残した一台だ。

Turismo(ツーリズモ)──165PSのコンフォート

「Turismo」は、165PS/5,500rpm、230Nm/2,250rpm。Competizioneより穏やかな足回りと、コンフォート寄りのチューニングで、「日常もスポーツも」のバランスを取る中核モデル。長距離も気軽に走れる、社会人の余裕を感じさせるグレードだ。

Competizione(コンペティツィオーネ)──180PSの本気

そして頂上の「Competizione」が、180PS/5,500rpm、250Nm/2,000rpm。0-100km/h加速は約6.7秒。ブレンボ製ブレーキ、スポーツサスペンション、そしてレコードモンツァ・マフラーが標準装備となる。webCGの試乗記はこのCompetizioneを「伝統は生きている」と評している。

同じT-Jetが、人格を3つ持っている。Baseは未完成の若さ、Turismoは社会人の余裕、Competizioneは本気の大人。──そのどれも、僕の中で「正しい答え」だ。それは、同じワインを3つの形のグラスに注いだ時の、香りの立ち上がり方の違いに似ている。グラスの細さ、空気との接触面、注ぐ量。少しの違いが、舌の上では、確かな差として残る。

レコードモンツァというデュアル排気──サウンドが車を決定づける


Competizioneの個性の中核を担っているのが、デュアル排気バルブ開閉式マフラー「レコードモンツァ」だ。名前の由来は、アバルトが歴史的に記録を残してきたモンツァサーキット。アバルト公式のサウンドチェック記事によれば、通常走行時は穏やかさを保ちつつ、ステアリング下のスポーツボタンを押すと排気バルブが開き、音色が一段深くなる。

アイドリングからして、もう違う。サソリが地中で身を起こす前の、低い呼吸のような音色。スポーツモードに切り替えた瞬間、その呼吸が外に出てくる。──夕暮れの石畳の街で、ヴァイオリンの低音が遠くから響いてくるような余韻が、車内に満ちる。

知り合いのアバルトディーラー営業マンが、こんな話をしてくれた。「Competizioneをご検討中のお客様には、必ず試乗の終盤、トンネル区間でスポーツボタンを押していただきます。レコードモンツァが本気の音を出した瞬間、お客様の表情が変わる。スペック表では伝わらない、あの音色が、契約の決め手になることが多いんです」。商売っ気よりも、技術への誇りが滲んでいた。

レコードモンツァは、通常走行時は静粛性を保ちつつ、スポーツモード時には排気バルブが開いて音色が深まる。中速域で約5.1PS、1.5kgmのトルクアップも実現する装備である。(アバルト公式SCORPION MAGAZINEより要約)

F595と595C──カタログにある「限定の延長線」とカブリオレの存在


2020年、アバルトはF1日本GPに合わせた限定モデル「595 Pista」を100台限定で発売した。そして翌年、その仕様をベースに、カタログモデルとして常時注文できる形にしたのが「F595」だ。webCGのF595試乗記によれば、エンジンは165PS、レコードモンツァ、KONI製FSDダンパー、17インチホイールが標準装備となる。

「ピスタ(Pista=サーキット)」の名前を継いだ165PSという出力は、Turismoと同じだ。だが、足回りとマフラーがCompetizione寄りに振られているため、走り味はまた別物。「Turismoの快適さと、Competizioneの本気を足して2で割った」のではない。「両者の隙間にだけ宿る第4の人格」だと、僕は感じている。

そして、もうひとつの選択肢が「595C」──電動ソフトトップを装備したカブリオレだ。各グレード(Base/Turismo/Competizione)にC仕様が設定されていて、屋根を開けると、レコードモンツァの音が頭上の空気に直接届く。トンネル内のスポーツモードとは、また別の歓びの形だ。

導入で書いた友人の赤い595Cは、コンペティツィオーネの5MT。「家族を乗せて、保育園の送迎にも使う。たまに屋根を開けて、子どもを助手席に座らせて、近所の海まで30分流す。それで十分なんだ」と彼は言っていた。スペックの数字だけでは見えない、「日常の歓び」がここにある。

アバルト695 70°/75° Anniversario──サソリの頂上に立つ限定車


「595」の上には、もうひとつ大きな数字、「695」がある。Stellantisジャパンの発表によれば、2019年、アバルト設立70周年を記念した「Abarth 695 70° Anniversario(セッタンタ アニヴェルサーリオ)」が世界限定で発売された。台数は、創業年1949年にちなみ、1,949台

この台数の選び方に、ブランドの背筋の通し方が出ている。「ちょうど2,000台」ではなく、「1,949台」。創業の年を、限定台数の数字そのものに刻み込む。マーケティングの整然とした数字ではなく、企業の記憶を、人々の手元に分け与えるための数字だ。

仕様は595 Competizioneがベース。180PS、ブレンボ製ブレーキ、レコードモンツァ、スポーツサスペンション、そして専用カラー「モンツァ・グリーン1958」を装着する。1958年は、アバルトがモンツァで数々のレコードを更新した年でもある。

2024年には、「695 75° ANNIVERSARIO」が発表された。設立75年の節目に、ガソリン595/695という血筋に静かに礼をするような一台だ。

アバルト595 中古、故障、維持費──イタリア車という選択の現実


そして、いま現在の中古市場と維持費の話だ。

グーネットの中古情報によれば、2026年現在のアバルト595中古掲載台数は約420台、価格レンジは38万円〜486.9万円。Baseの初期型なら40万円台から、Competizioneの低走行・後期型なら200万円超のレンジに分散している。

故障についてはどうか。TM23の中古車解説では、「20年近く改良が重ねられてきた構成のため、現代のアバルト595は驚くほどタフ」とされている。一方で、ATモード付きシーケンシャル「MTA」については故障歴のある個体も流通しているため、整備履歴の確認は必須だ。

都内のイタリア車専門中古店の店主と、年末に話す機会があった。「アバルト595は、整備履歴がすべてです。MTAの故障歴、オイル交換の記録、ベルト系の交換時期──これが揃った個体は、5年10年と付き合える一台になります。逆に履歴のない個体は、いくら安くても避けたほうがいい」と彼は念を押した。

年間維持費は、おおよそ40万円(月33,000円)が目安。CARPRIMEの維持費記事によれば、燃費は街乗り10〜11km/L、高速巡航で14〜16km/L。ハイオク仕様、タイヤサイズ、整備工場の選択次第で変動するが、輸入車としては突出して高くはない。

そして、いま大きな節目に立っている。2024年6月13日、Stellantisジャパンは日本向けのF595および695のガソリンモデル生産終了を発表した。500シリーズはEV「500e」へ一本化される予定だ。サソリのバッジを纏ったガソリン595を新車で買える期間に、はっきりとした区切りが付いた。

アバルト595は、運転席に座って、エンジンスタートボタンを押すだけで、何かと会話を始めるクルマだ。クルマと会話する──この言い回しを使うのは、僕の文章のなかで年に数えるほどしかない。だが、レコードモンツァのアイドル音を聞きながら、ステアリングに手をかけた瞬間、確かにその会話は始まっている。

よくある質問

アバルト595のグレードはどう違いますか

Base(595)が145PS、Turismo(ツーリズモ)が165PS、Competizione(コンペティツィオーネ)が180PS。エンジンは共通の1.4L T-Jetターボ。Competizioneはブレンボ製ブレーキ、スポーツサスペンション、レコードモンツァ・マフラーが標準装備となります。F595は「595 Pista」のカタログ版で、165PSにレコードモンツァ・Koniダンパー・17インチを組み合わせた一台です。

アバルト595の馬力と0-100km/hは?

Competizioneは180PSを発生し、0-100km/h加速は約6.7秒。同サイズのコンパクトカーとしては突出した数値です。Baseは145PS、Turismoは165PS、F595は165PS。トルクはCompetizioneで250Nm/2,000rpmが最大値となります。

アバルト595は故障しやすいですか?

20年近く改良が続いたエンジン・車体構成のため、現代のアバルト595の信頼性は高まっています。ただし、ATモード付きシーケンシャル「MTA」の故障歴がある個体も中古市場には流通しているため、購入前の整備履歴チェックは必須です。オイル交換・ベルト系交換の記録が揃った個体を選んでください。

アバルト595Cと通常モデルの違いは?

595Cは電動ソフトトップを装備したカブリオレ仕様です。Base、Turismo、CompetizioneのいずれにもC仕様が設定されており、屋根を開けて走るとレコードモンツァの音が頭上の空気に直接届きます。F595Cセカンドエディション(2024年、90台限定)などの限定派生も存在しました。

アバルト595はまだ買えますか?

2024年6月13日、Stellantisジャパンが日本向けのF595および695のガソリンモデル生産終了を発表しました。新車は在庫限り、今後の500シリーズはEV「500e」に一本化される予定です。ガソリン仕様のアバルト595を求める場合、中古市場が現実的な選択肢になっています。

まとめ


アバルト595という名前の中には、3つの呼吸が宿っている。1963年の元祖、現代のBase・Turismo・Competizione、そしてF595・595C・695限定車。──ひとつの数字に、これだけの物語を詰め込んだブランドは、世界でも数えるほどしかない。

カルロ・アバルトが1949年にトリノで立ち上げたサソリの遺伝子は、いま日本の路地で、家族車兼スポーツカーとして走り続けている。EVへの移行が静かに進む時代に、ガソリン版に区切りが付いたいま、中古市場のあちこちで、まだあの音が鳴っている。

サソリの3つの呼吸は、いま誰かのガレージで、まだ静かに息をしている。──あなたのガレージには、その小さな赤い遺伝子を迎え入れる余白が、まだ残っているだろうか。

執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)

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