子どもの頃、父の車はローレルだった。
休日の朝、後部座席に乗り込むと、ベロアシートの起毛が頬に触れた。少しくすぐったくて、それでいてどこか深く安心する感触。エンジンをかけると、ボンネットの奥から、低くなめらかな振動が伝わってきた。
あれが、直列6気筒の規則正しい鼓動だったと知ったのは、ずっと後のことだ。
スカイラインのように、騒がれる車ではなかった。GT-Rのように、伝説になる車でもなかった。けれど、僕の記憶の奥には、あの静かな直6の子守唄が、いまも確かに残っている。色褪せるどころか、年を重ねるほどに、その音は澄んでいくようだった。
──日産ローレル。今日は、その控えめで、けれど芯から誇り高い、一台のセダンの話をしたい。
後部座席で聴いた、直6の子守唄

ローレルは、派手な車ではない。
同じ日産の直6FRでも、スカイラインには「R」の称号があり、サーキットの栄光があった。シルビアにはドリフトの軽快さがあった。ローレルは、その狭間で、静かに上質を守り続けた車だった。
そもそもローレルは、「ハイオーナーカー」という思想のもとに生まれた。ワゴンも、バンも作らない。商用ではなく、ひとりの大人が、自分のために選ぶ上質なセダン。それが、この車の出発点だった。
派手な栄光を追わなかったことを、地味だと笑う人もいるだろう。でも、僕はそうは思わない。誰かに見せるためではなく、自分の満足のために選ぶ。それは、とても成熟した車の選び方だ。
あなたにも、そんな一台の記憶はないだろうか。世間では大して評価されなくても、自分にとっては特別だった車。ローレルとは、まさにそういう存在だった。
思えば、ローレルという名前そのものが、控えめな矜持を表していた。ローレル、つまり月桂樹。勝者の頭上にそっと載せられる、栄光の冠の葉だ。声高に勝利を叫ぶのではなく、静かにそれを身に纏う。そんな美意識が、この名には込められていた気がする。
1980年代、世はハイソカーブームに沸いていた。白いボディに、ふかふかの内装。トヨタのマークII三兄弟が一世を風靡するなか、日産でその対抗馬を担ったのが、スカイラインと、このローレルだった。
そしてこの車は、スカイラインと多くを分かち合う兄弟でもあった。プラットフォームを共有し、名機RBの血を引く、隠れた走り屋。その素顔を、これから紐解いていこう。
35年の系譜 ― 初代C30から掉尾のC35まで

ローレルの歴史は、長い。1968年から2003年まで、実に35年。全8世代に及ぶ系譜だ。
始まりは、初代C30。1968年に登場した。当時はまだ、プリンス自動車製のG18型エンジンを積み、2ドアハードトップのみという潔い構成だった。ブルーバードより上級の、新しいジャンルを切り拓いた一台。その背景はwebCGの初代ローレル50周年記事に詳しい。
2代目C130は、独特のリアまわりから「ブタケツ」という愛称で親しまれた。アメリカンな雰囲気をまとった、押し出しの強いスタイル。いまや旧車イベントの主役を張るほどの人気者だ。3代目C230では、内装が一気に豪華になり、当時の若者たちの憧れを一身に集めた。
4代目C31は「アウトバーンの旋風」を掲げ、欧州調のデザインへ舵を切った。この頃、スポーティな上級グレードとしてSGXの名も輝いていた。5代目C32では、再び押し出しの強いスタイルへと戻る。
そして、走り好きが決して忘れられない6代目C33。さらに全車3ナンバー化を果たした7代目C34。最終世代となる8代目C35へと、物語は続いていく。歴代の流れは日産・ローレルのWikipediaにまとまっている。
面白いのは、ローレルが時代の鏡だったことだ。高度成長の勢い、バブルの華やかさ、そして成熟へと向かう日本。その時々の「大人が憧れるもの」を、ローレルはボディの形に映し続けた。歴代を並べて眺めると、まるで日本の戦後そのものを辿っているような感覚になる。
時代の空気を吸い込みながら、ローレルはその姿を変え続けた。アメリカンにも、ヨーロピアンにも振れた。けれど、その芯にあった「上質な大人のセダン」という思想だけは、終わりまで揺るがなかった。
C33という重戦車 ― RB20DETと走りの伝説

歴代のなかで、いまも特別な熱を帯びて語られるのが、6代目C33だ。
1988年12月にデビューしたこのモデルは、「大人の趣味のよさを表現した上質な4ドアサルーン」をコンセプトに掲げていた。ボディは4ドアハードトップのみ。窓枠のない、あの流麗なサイドシルエットが美しかった。
ピラーのない4ドアハードトップ。窓を全部下ろせば、フロントからリアまで、柱が一本もない開放的な眺めが広がる。あの構造は、上級セダンだけに許された、ささやかな贅沢だった。風が車内を吹き抜けるあの感覚を、覚えている人もいるだろう。
搭載されたエンジンには、1.8リッターから2.8リッターディーゼルまで幅があったが、走り好きの心を撃ち抜いたのは、ただひとつ。2.0リッター直6 DOHCターボ、RB20DETだ。
このエンジン、そして直列6気筒・後輪駆動というパッケージ。それは、同世代のスカイライン、あのR32と分かち合う血統そのものだった。
スカイラインの心臓を、より静かな衣装で包んだ一台。それがC33ローレルだった。
だからこそ、この車は走りの世界で第二の生を得た。重厚な車体でありながら、アクセルを開ければ豪快に向きを変える。ドリフトの世界では、その独特の挙動が「曲がる重戦車」として愛された。上質なセダンが、峠で白煙を上げる。その背徳的なギャップが、たまらなかった。
馴染みの旧車店の店主が、苦笑しながらこう言っていた。
スカイラインは、もう高騰しすぎて手が出ない。同じRBで、雰囲気のいいローレルに、いま若い子たちが流れてきてるんですよ。
内装もまた、見事だった。ゆったりとしたシート、品のあるメーターまわり、そして大人を満足させる静粛性。普段は家族を乗せて静かに流し、ひとりになった夜に、こっそり牙を覗かせる。そんな二重生活を、C33は涼しい顔で許してくれた。
静かな紳士の顔をして、その実、誰よりも走りを知っていた。C33とは、そういう二面性を持った名車だった。国産ハードトップの系譜はwebCGのローレルで学ぶ通史が読み応えがある。
掉尾を飾ったC35 ― RB25DET 280馬力とメダリスト

そして1997年、8代目C35が登場する。ローレルの物語を締めくくる、最終世代だ。
エンジンは、RB20DE、RB25DE、そして頂点に立つRB25DETターボ。この2.5リッター直6ターボは、最高出力280馬力を誇った。後輪を操る四輪操舵、スーパーHICASも備え、走りの実力は本物だった。
このC35は、スカイラインで言えば、あのR34と同じ世代にあたる。プラットフォームの多くを分かち合い、RB25という心臓を共有していた。GT-Rに沸いた時代の片隅で、ローレルもまた、同じ血を静かに受け継いでいたのだ。
グレード構成も魅力的だった。上質を極めたメダリストシリーズと、走りに振ったクラブSシリーズ。そのどちらにも、RB25DETターボを選ぶことができた。快適を取るか、刺激を取るか。同じ車で、二つの夢を見られたのだ。
夜の高速を、RB25DETのC35で流したことがある。直6が低くうなり、メーターの針が滑らかに上がっていく。重厚なボディが風を切り裂きながら、どこまでも安定して伸びていく。あの静かな速さは、いまも忘れられない。
躍動感を意識したそのデザインは、いま見ても古びていない。ヘッドライトの奥に宿る、静かな知性のような表情。最終モデルは、約225万円という価格で送り出された。その最終章はMotor-FanのC35ラストモデル記事が詳しく伝えている。
そして2002年、生産終了。2003年、ローレルは35年の歴史に静かに幕を下ろした。掉尾を飾ったC35は、いまや名車としての評価を確立しつつある。歴代のメダリストの姿は日産ヘリテージコレクションでも見ることができる。
時代は、すでにセダンからミニバンやSUVへと移ろい始めていた。役目を終えるように、ローレルは静かに舞台を降りた。けれど、消えていったからこそ、その姿は記憶のなかで美しく結晶していく。
派手な花火のようなフィナーレではなかった。けれど、最終章にふさわしい、品のある一台だったと思う。
紛らわしい兄弟 ― ローレルスピリットという別の車

ここで、ひとつ整理しておきたいことがある。「ローレルスピリット」という名前を、聞いたことがあるだろうか。
これが、なかなか紛らわしい。名前にローレルと付いているが、ローレル本体とは、まったく別の車なのだ。
その正体は、サニー(B11/B12型)の姉妹車。日産モーター店という販売系列が扱った、エントリー向けの小型高級車だった。ローレルの持つ上質な佇まいを、ぐっと手の届くサイズに凝縮した一台、というわけだ。詳しくは日産・ローレルスピリットのWikipediaにある。
メッキパーツをあしらい、上級グレードにはツートンカラーまで用意して、精一杯の高級感を演出していた。小さな体に、大きな憧れを詰め込んだ、健気な車だったのだ。
当時、いきなり本物のローレルには手が届かない若い世代にとって、スピリットは入口だった。まずはこの一台で上質の片鱗を味わい、いつか本物のローレルへ。そんな夢の階段が、確かに用意されていた。いま思えば、なんとも粋な売り方だ。
だから、中古車を探すときは注意してほしい。あなたが思い描く直6FRのローレルと、このローレルスピリットは、似て非なる存在だ。名前の響きに惑わされず、型式までしっかり確認したい。
中古の現実 ― 相場・狙い目・RBとの付き合い方

では、現実的な話に踏み込もう。いま、ローレルを手に入れるには、何が必要なのか。
まず知っておきたいのは、相場が静かに、しかし確実に上がっているということ。かつては実用車として安く出回っていたローレルも、いまや名車として再評価され、価格が上向いている。とくにC33のRB20DET、C35のターボ、そして5速マニュアル公認の個体は、人気が高い。買取の動向は旧車王のローレル査定情報が参考になる。
RB20DETを積んだC33が、オートマチックでも100万円を超える値で取引される。そんな時代に、もうなっているのだ。かつて実用セダンとして街に溢れていた車が、いまや探さなければ出会えない存在になった。時の流れとは、残酷で、そして少し愛おしい。
背景には、スカイラインをはじめとするRB系FRの高騰がある。GT-Rが天井知らずの価格になり、その熱が兄弟車たちへと波及した。同じ心臓、同じ素性を持ちながら、まだ手の届くローレルに、目を向ける人が増えたのは自然な流れだろう。
ただし、安易に飛びつくのは禁物だ。直6FRという素性ゆえ、ドリフトやチューニングのベースとして酷使された個体も少なくない。雑な改造や、補修の甘い車両には、相応の覚悟が要る。
狙うなら、過度にいじられていない、整備履歴のはっきりした一台。ローレルという車は、静かに大切に乗られてきた個体ほど、その本来の上質さを保っている。狙い目グレードはグーネットのローレル特集が指針になる。
古い車との付き合いは、骨董品を愛でることに似ている。傷や経年すらも、その器が歩んできた時間の証として愛おしむ。そんな心持ちのある人にこそ、ローレルはそっと寄り添ってくれるはずだ。手をかけた分だけ、この車は静かに、けれど確かに応えてくれる。
価格表の数字だけでは、この車の本当の価値は測れない。大事なのは、その一台が、どんな歳月を生きてきたか──だ。
よくある質問

C33とC35、どちらを選ぶべきか
走りの伝説と、流麗なハードトップの美しさを求めるならC33。RB20DETの素性と、ドリフト文化に裏打ちされた人気は別格だ。一方、より新しく、280馬力のRB25DETや快適装備の充実を取るならC35。最終世代ゆえ程度のいい個体も比較的見つけやすい。どちらも直6FRの歓びという核は共通している。
ローレルとローレルスピリットの違い
まったくの別物だ。ローレルは直6FRの上級セダン。ローレルスピリットは、サニーをベースにした小型のエントリー車で、駆動方式も成り立ちも異なる。名前は似ているが、求めるものが直6FRのローレルなら、スピリットは対象外と考えてよい。購入時は型式を必ず確認したい。
中古で気をつけたい点
老朽化、改造履歴、そして部品の入手性だ。発売から長い年月が経っているため、ゴム類や電装系のリフレッシュは前提と考えたい。加えて、走り目的で酷使された個体が多いため、雑な改造や補修跡がないか。整備記録の残る、素性の確かな一台を選ぶことが何より大切になる。
いま乗っても、楽しいのか?
間違いなく楽しい。直列6気筒の滑らかな回転と、後輪駆動ならではの素直な挙動は、現代のセダンでは味わいにくい官能だ。とくにターボ車は、いまの道でも十分に速い。速さの質と、所有する満足感。その両方を、ローレルは静かに与えてくれる。
まとめ

ローレルは、スターではなかった。スカイラインの隣で、いつも一歩引いて立っていた、控えめな名車だ。
でも、その身体には、同じ名機RBの血が流れていた。静かな佇まいの下に、確かな走りの素性を隠し持っていた。脚光を浴びずとも、本物であり続ける。そんな生き方を、この車は体現していたように思う。
派手な車を選べなかった日々を、地味だと恥じる必要はない。誰かに見せるためではなく、自分のために選ぶ。それは、何より成熟した大人の選択だ。
もし、かつて家族の車がローレルだったなら。あるいは、あの流麗なハードトップに、ひそかに憧れていたなら。いまこそ、もう一度その扉を開けてみてもいいのかもしれない。
週末、もし街でローレルとすれ違うことがあれば、少しだけ目で追ってみてほしい。流れるようなハードトップのシルエットが、きっとあの頃の空気を運んでくる。
あの後部座席で聴いた直6の子守唄は、いまも僕の胸の奥で、静かに鳴り続けている。そしてその旋律は、きっと、もう一度ハンドルを握る理由になる。
執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)
情報ソース一覧
- 日産・ローレル|Wikipedia
- 日産・ローレルスピリット|Wikipedia
- 日産ローレルを通して学ぶ 国産ハードトップ車通史|webCG
- 生誕50周年 いまや希少な初代ローレルを振り返る|webCG
- 日産ローレル C35型ラストモデル|Motor-Fan
- 日産 ローレルの買取査定情報|旧車王
- 日産 ローレルの狙い目グレードと価格相場|グーネット
- ローレル RB20 メダリスト|日産ヘリテージコレクション
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