アバルト124スパイダーの本当の価値。同じ広島生まれでもロードスターでは満たせないモノ

輸入車

真夏の夕方、駐車場で屋根を開けたとき、シートの表面にはまだ昼の熱が残っていた。座面に手を当てると、革の匂いと、わずかに焦げたコーヒーの香りが混じっていた。家族との外食を終えたあとの、ほんの数分間の自由。エンジンを掛けると、フロントから低く、しかし確かに張りのあるトルクの唸りが立ち上がる。アバルト124スパイダー。広島で生まれた、イタリアの匂いがする一台。

同じ屋根の下で、マツダ ロードスターを愛してきた友人たちには申し訳ない気持ちもある。だが、僕がこの夕方に選んだのは、こちら側だった。同じ広島の工場から出てきた兄弟車でありながら、まったく違う温度を持つこの124スパイダーが、なぜ僕の中で離れてくれないのか──そのことを、今夜は少しだけ言葉にしておきたかった。

あの夏、屋根を開けたまま僕は信号待ちをしていた

初めて124スパイダーを試乗したのは、夏の終わりの夕方だった。アバルトのディーラーは住宅街の外れにあって、試乗コースは隣町を抜ける片側1車線の道路だった。担当の営業マンが助手席で苦笑いをしながら、「無理しないでくださいね」と一言だけ言った。意味は分かっていた。彼は僕の運転履歴を知っていた。

右足を軽く落とす。1.4Lの4気筒が、2,500回転あたりから別の声で歌い始める。NA派を自任してきた僕の身体に、ターボの低回転トルクが滑り込んできた感覚は、はっきりと記憶に残った。これは、僕が嫌っていたはずの種類の加速ではなかった。むしろ、街の流れの中で過不足なく仕事をする、大人のためのトルクだった。

信号で停まる。屋根は開けたままだった。空はまだ少し青を残していて、街路樹の葉が頭の上でかすかに揺れていた。エンジンはアイドリングで、僕の腰のあたりに微妙な振動が伝わっていた。

その瞬間、不思議な気持ちになった。20代の頃にR32 GT-Rの運転席で感じていた高揚感とは、明らかに違うものだった。だが、20代の僕が信号で待っていたときに感じていた「次に踏み込んだら、世界が動く」という予感は、確かに今ここにも戻ってきていた。形を変え、サイズを変え、ナンバーの色を変えて。

家に帰って、妻に「いいクルマだった」と伝えた。妻は何も聞かなかった。ただ、僕の顔を見て、少しだけ笑った。彼女は知っていた。僕がもう、半分以上は決めていることを。

124スパイダーがイタリアの匂いを纏う理由

このクルマを語るとき、まず触れなければならない歴史がある。それは、現代の124スパイダーが、突然空から降ってきた企画ではないということだ。

1966年トリノショー、ピニンファリーナという原点

1966年、イタリア・トリノの自動車ショーに、1台のオープン2シーターが姿を現した。フィアット 124スポルト・スパイダー。デザインを担当したのは、フェラーリやアルファロメオの名作を手掛けてきたピニンファリーナだった。フィアット公式のアーカイブには、当時の佇まいが今も残されている。

排気量は1,438cc。出力は90HP。今の数字で見れば慎ましい。だが、そのプロポーション──ロングノーズ、ショートデッキ、低くなだらかなトランクライン──は、半世紀以上経った今も、現代のクルマ屋たちが手本にしたくなる原型だった。

1972年、アバルトがWRCで残した足跡

もう一つの源流がある。1972年、フィアット124スパイダーをベースに、アバルトがチューンしたラリー仕様がWRCの世界に飛び込んだ。サソリのエンブレムを掲げたそのクーペは、欧州のラリーステージを駆け回り、ある一つの「物語」をクルマの歴史に書き込んだ。

現代のアバルト124スパイダーは、ピニンファリーナの線と、アバルトのラリー精神の、両方を血として受け継いでいる。ボディの全長は、ベースのマツダ ロードスターより約139mm長い。フロントとリアのオーバーハングが伸ばされ、初代124のあの寝かせたトランクラインが現代の寸法で再現されている。スタイリングは表面の意匠ではなく、半世紀の物語のかたちなのだ。

広島で組まれる、イタリアン・スポーツ

このクルマの面白さは、その出自の二重性にある。デザインの原点はトリノ、走りのチューニングはアバルト本社、しかし──ボディは広島のマツダ工場で組まれている。エンジンだけが、イタリアから海を渡って広島に届く。

1.4L MultiAirという、低回転を太らせる設計

搭載エンジンは、アバルト公式が記すとおり、1.4L MultiAir 直4ターボ。最高出力170ps/5,500rpm、最大トルク250Nm/2,500rpm。注目すべきは、最大トルクが2,500回転という低い回転数で発生する設計思想だ。

同じ広島で生まれるロードスターの1.5L NAは、132ps/152Nmを4,500rpmで取り出す。同じ屋根の下、同じ骨格、同じ駆動方式。だが、目指している「気持ちよさ」が違う。ロードスターは高回転まで素直に回し切る快感を、124スパイダーは低回転から太いトルクで街を抜ける快感を、それぞれの正解として持っている。

ブレーキだけ、ロードスターと違う

もう一つ、現物を触ると分かる違いがある。ブレーキだ。webCGの試乗記でも触れられているとおり、日本仕様のアバルト124スパイダーは対向キャリパーを装着している。同じNDロードスターの片押しキャリパーとは、ペダルを踏んだ瞬間のタッチが明確に違う。

この違いを、笑う声もある。「マツダの中身に、イタリアの顔を貼っただけ」と。だが、僕はそう思わない。広島の工場で組まれているからこそ、欧州の純粋なオープンスポーツに比べて、整備性も信頼性もはるかに現実的だ。そして、そこにアバルトの足回りとブレーキが乗ることで、走り出した瞬間から「これは別物だ」と分かる。原産国がどうこうではない。このクルマは、日本の手とイタリアの設計が、互いを尊重しながら作り上げた、ある種の奇跡的な合作なのだ

サソリの毒は、街でこそ効いてくる

大学の頃、僕の隣でいつもロードスターを走らせていた友人がいた。彼は典型的なNA信奉者で、ターボなんて邪道だと笑っていた。その彼が、ある時期から、突然アバルト124スパイダーに乗り換えていた。

連絡をもらって、十数年ぶりに会ったとき、彼は少し照れたような顔でこう言った。

「ロードスターも好きだった。でもさ、エンジンを掛けた瞬間に、こっちは違うんだよ。低回転からトルクが太い。それが日常で効いてくる」

その言葉に、僕は深く頷いた。Motor-Fanの記事にも同じ感覚が書かれていた。エンジンを掛けた瞬間に、アバルトであることが分かる。誇張ではない、本当にそうなのだ。

ND乗りの旧友が、なぜ124に乗り換えたのか

彼が言うには、ロードスターの軽さと素直さは大好きだった。だが、家族を持って、平日は実用車に乗るようになってから、週末の数時間しかオープンカーに触れられなくなった。その短い時間で、彼はもっと「濃い時間」を求めるようになっていた。Response.jpの試乗記が「サソリの毒」と表現したものを、彼の右足は嗅ぎ取っていた。

Record Monzaという、もう一つの誘惑

アバルトには、純正オプションで「Record Monza」と呼ばれる4本出しエキゾーストがある。webCGの特集によれば、低回転時は両外側のパイプから排気し、回転が上がると排圧でバルブが開き、内側のパイプも仕事を始める可変構造になっている。

この名前の由来も語っておきたい。1950年代、アバルト製のレーシングカーが、モンツァ・サーキットで数々の世界記録を樹立した。その伝説の名前を、現代のオプションマフラーが受け継いでいる。エキゾーストノートは、ただの音ではない。半世紀越しに繋がれた、誰かの記憶の続きでもある。

2026年、124スパイダーの中古を選ぶということ

アバルト124スパイダーの生産は、2020年に静かに終わった。日本市場での累計販売台数は、2,227台。Car Sensorの分析によれば、この少なさが現在の相場を支えている。

相場は230万〜450万円。何を見るべきか

2026年5月時点の相場は、初期型(2016〜2017年式)で230万〜280万円、中期型(2018年〜)で280万〜330万円、最終に近い良好個体で350万〜450万円という分布だ。新車価格の60〜80%を維持していることになる。生産終了から数年が経った今も、価格は下落していない。むしろ、状態の良い個体は静かに上がっている。

買う側として見るべきは、整備履歴の連続性、ターボ周りの異音、幌の状態、純正Record Monzaの装着有無、そしてオーナーが2人目以内に収まっているかだ。124スパイダーは、整備性こそNDベースで現実的だが、消耗品の交換時期はターボ車らしく短い。ここを誠実にやってきた個体を選ぶことが、結局は長く付き合うコツになる。

入庫から1〜2週間で売れる、という現実

馴染みのアバルト系ディーラーで聞いた話だ。良質な個体は、サイトに掲載して問い合わせを受け始めると、ほぼ1〜2週間で売れていく。「この個体、入荷の連絡を入れただけで、もう問い合わせが3件来てます」という営業の言葉は、誇張ではなかった。

2,227という数字は、東京の主要オーナーズミーティングに1度集まる人数を考えると、決して多くない。日本中に散らばっている2,227台のうち、状態の良い個体は数百台に過ぎないと考えていい。これは、買おうと思って明日のうちに見つかる車ではない。巡り合いの車だ。

関東圏のオーナーズミーティングを覗いてみると、集まる人の中心は40代後半から60代だ。多くが「2台目の趣味車」として124スパイダーを所有している。家族の理解を得て、平日は実用車、週末だけイタリアの匂いを纏う。そういう所有のかたちが、このクルマには似合っている。一人で峠を攻めるためのクルマではない。家族と過ごす日々の合間に、ほんの数時間だけ、自分の20代の続きを生きるためのクルマだ。

ロードスターを愛しながら、124スパイダーを選ぶという矛盾

正直に書くと、僕はNDロードスターも大好きだ。1.5L NAの素直な回り方、軽さ、そして「足りなさ」をドライバーの腕で埋めていく快感。あれは、純粋スポーツの一つの完成形だ。だから、ここでロードスターを下げて124スパイダーを上げる、というレトリックを取りたくない。

それでも、僕がもしもう一台買うなら、ロードスターではなく124スパイダーを選ぶ。理由はシンプルだ。低回転のトルクが、平日の僕に効くからだ。週末しか乗らない趣味車として、回さなくても気持ちよく流れていく性格は、忙しい大人の生活に静かに馴染む。

あちらは、ステアリングを切る角度に対して、人生の選択のような重みを返してくれるクルマだ。こちらは、屋根を開けて流すだけで、サソリの毒が足の裏から滲んでくるクルマだ。どちらかが上ではない。ただ、今夜の僕の気分は、こちらだ。

よくある質問

124スパイダーとロードスター、どちらを選べばいいですか?

どちらが上か下かではない。NAの伸びるような回転と軽さを愛するならND ロードスター、低回転のトルクとイタリアン・スタイルに惹かれるならアバルト124スパイダーだ。週末のサーキット派はロードスター、平日の街乗りまで含めて楽しみたい大人は124という選び方も成り立つ。試乗して、右足で確かめてほしい。

中古を買うとき、注意点は何ですか?

整備履歴の連続性、ターボ周りの異音、幌の状態、エンジンオイルの管理頻度、そして純正Record Monzaが装着されているかを確認すること。Record Monza付き個体は20万〜30万円ほど高くなる傾向があるが、後付けで揃えるコストを考えれば妥当だ。前オーナーがアバルト系ディーラーで定期点検を受けてきた個体が、最終的には安心できる。

アバルト124スパイダーの維持費は高いですか?

国産車に比べれば高めだが、輸入オープンカーとしてはむしろ良心的な部類に入る。ベース骨格がマツダのため、部品供給と整備性が他の欧州オープンカーよりも格段に安定している。年間20万〜30万円の維持費を想定しておけば、無理のない所有が可能だ。

燃費はどのくらいですか?

カタログのJC08モードは13.2km/L。実燃費は街乗り中心で10〜11km/L、郊外巡航で12〜13km/L程度だ。ターボらしく踏めば落ちる。だが、低回転のトルクが太いおかげで、無理に高回転を引っ張る必要がない。結果として、ロードスターより燃費が悪いという印象は薄い。

なぜ2,227台で終わったのですか?

背景は複数ある。欧州の排ガス規制強化、アバルト全体のグローバル戦略の見直し、そしてマツダとフィアット系列との提携契約の満了。どれか一つではなく、複数の事情が重なった結果だ。だからこそ、現存する個体一台一台が、ある特定の時代にしか作れなかった「ヒロシマンなイタリアン」の記録になっている。今後、こうした日伊合作のオープンスポーツが再び生まれる保証はどこにもない。今ある2,227台が、このジャンルの最後のロットになる可能性すらある。

まとめ

124スパイダーは、決して大量生産されたクルマではなかった。1966年のピニンファリーナの線、1972年のWRCの記憶、2016年に広島で組まれ始め、2020年に静かに終わった生産ライン。そのすべてが、2,227台のボディに収束している。一台一台のリアフェンダーに、半世紀分の物語が静かに畳まれている。

家族のために実用車を選んだあなたは、間違っていない。子どものチャイルドシートを後部座席に積んだ毎日は、何にも代えがたい時間だ。ただ、それでも心の奥に「屋根の開く音」が残っているなら、その音を、消す必要はないと思う。

あの夏の信号待ちで僕が見上げた空の色は、今もどこかに残っている。あなたの中にも、似た記憶があるはずだ。

家族の車のキーの隣に、屋根が開く一台があってもいい。

執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)

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