朝の路地は、いつも僕に意地悪をする。
両側に塀が迫り、電柱が肩をすぼめて立っている。対向車が来たら、もう詰みだ。そんな道の突き当たりを、今日も曲がる。
ステアリングを、軽い力でぐいと回しきる。
すると小さな車体が、独楽みたいにくるりと向きを変えた。エンジンの音は、後ろから聞こえる。直列3気筒の、コトコトとした軽い鼓動。鼻先には、近所のパン屋から漏れてくる焼きたての匂い。
ルノー・トゥインゴ。
速さのために選んだ車じゃない。リセールのためでも、見栄のためでもない。ただ、朝のこの一瞬が、たまらなく愛おしかったからだ。
世間はこの小さなフランス車を、まともに振り返らない。
けれど僕は、この子の前輪がよく切れる理由を知っている。その秘密は、屋根でも鼻先でもなく、後ろにある。今日は、心臓を後ろに積んだ小さな相棒の話を、少しだけさせてほしい。
路地の朝、後ろの心臓が目を覚ます──トゥインゴという小さな相棒

トゥインゴという車を、ひとことで言うのは難しい。
速いわけじゃない。広いわけでもない。けれど、乗るたびに口角がほんの少し上がる。そういう車だ。
たとえるなら、こうだ。
トゥインゴは、財布の小銭をちゃらちゃら鳴らしながら、朝のパン屋へ駆けていく子どものような車だ。重たい荷物も、立派な肩書きも持っていない。ただ、軽い足取りと、隠しきれない上機嫌だけがある。
現行の3代目トゥインゴには、ひとつ大きな秘密がある。
エンジンが、後ろに積まれているのだ。いわゆるRR──リアエンジン・リアドライブ。後輪のすぐ前に直列3気筒を寝かせ、後ろのタイヤを蹴って走る。
この駆動方式、いまの市販車ではほとんど絶滅危惧種だ。
名前が挙がるのは、ポルシェ911と、このトゥインゴくらい。値段は天と地ほど違うのに、心臓を後ろに背負った兄弟という一点で、両者は確かにつながっている。
そして、後ろに心臓を退けたことには、ちゃんと意味があった。
鼻先からエンジンが消えると、前輪をより深く切ることができる。だから、あの意地悪な路地の突き当たりを、トゥインゴは独楽のように曲がっていく。小ささと小回り。この二つが、街でこんなにも頼もしいとは、乗るまで知らなかった。
カエル顔の革命児。初代トゥインゴが街にもたらした愛嬌

トゥインゴの物語は、1992年のパリで始まる。
その年の秋、パリサロンの会場に、見たこともない顔をした小さな車が現れた。丸い目、にっこり笑ったような口元。まるで道端で出会ったカエルが、こっちを見て微笑んでいるようだった。
当時のフランス車は、実用一辺倒で、どこか生真面目だった。
そこへ、この愛嬌の塊が飛び込んできた。前年に役目を終えた名車「ルノー4」の後を継ぐ、いちばん身近なルノー。それがトゥインゴだった。
デザインを手がけたのは、社内のパトリック・ル・ケモン。
のちにルノーのデザインの舵を握る男だ。彼が描いたのは、ボンネットからルーフまでが一本の線で流れる、ワンモーションのフォルム。小さな箱の中に、驚くほど広い空間を確保していた。
面白いのは、その手本になったとされる車だ。
聞いて驚いてほしい。初代ホンダ・トゥデイ。あの日本の軽自動車が、初代トゥインゴのスタイルの参考になったと言われている。しかも、ルノー自身がそれを否定していない。フランスの愛嬌の源流に、日本の小さな箱がいた。こういう逸話に、僕はめっぽう弱い。
この時代のトゥインゴは、まだ前輪駆動のFFだった。
センター寄りのメーターや、割り切った装備。合理を、ユーモアに変えてしまうのがフランス流だ。実用品なのに、どこか遊んでいる。その匙加減が絶妙だった。
日本へ正規にやってきたのは、1995年のこと。
当時の輸入を手がけた経緯は、いまもレスポンスの懐かしのカーカタログに詳しい。ヤナセ系の手で海を渡ったこのカエル顔は、輸入車らしからぬ親しみやすさで、静かにファンを増やしていった。
速くもなく、高級でもない。
それでも愛された。トゥインゴという車の体質は、もう最初の一台から決まっていたのだ。
魔術師の名を継ぐ者──2代目 ゴルディーニ ルノースポールという小さな反逆

2代目になると、トゥインゴは少しだけ牙を見せ始める。
その象徴が、ゴルディーニ ルノー・スポールだ。日本では2011年に上陸した、小さなフランス車の、小さな反逆。
まず、この「ゴルディーニ」という名前の話をさせてほしい。
由来は、アメデ・ゴルディーニという一人のチューナーだ。イタリアに生まれ、フランスで腕を振るった、エンジンの魔法使い。
戦前からフィアットやシムカをいじり、ル・マンでクラス3連覇まで成し遂げた。
ノーマルの車を、まるで魔法のように速くしてしまう。だから彼には、こんな異名がついた。ル・ソルシエ──「魔術師」だ。
ゴルディーニ ルノー・スポールは、往年のルノーのチューナー、故アメデ・ゴルディーニ氏の名を冠したモデルである。
1950年代から70年代、ゴルディーニはルノーと組み、数々のスポーツモデルを生んだ。
R8ゴルディーニは、その代表格だ。以来、彼の名はルノーのスポーツ上級版に与えられる、特別な称号になった。半世紀越しに、その名が小さなトゥインゴに宿る。胸が高鳴らないわけがない。
2代目ゴルディーニ ルノー・スポールの心臓は、1.6リッターの自然吸気だ。
最高出力は134馬力。数字だけ見れば、いまの基準では慎ましい。けれど、回せば素直に伸びる直列4気筒の鼓動は、馬力の数値だけでは語れない快感があった。組み合わされるのは、もちろん5速のMT。駆動はまだFRではなく、前輪を駆動するFFだった。
そして、忘れてはいけないのが、あの服装だ。
ブルーのボディに、白い太いストライプ。その配色は、1960〜70年代のレーシングマシン、R8ゴルディーニへのオマージュそのものだった。色そのものが、歴史の引用になっている。試乗の様子は、いまもCar Watchのインプレッション記事で読むことができる。
RS。ルノー・スポール。
この二文字は、サーキットやラリー、そしてニュルブルクリンクで鍛えられた、ルノーのモータースポーツ魂の証だ。その血の一滴が、街乗りの小さなトゥインゴにも、確かに通っていた。中古市場でいまゴルディーニを探すなら、その服と血統に惚れているかどうか。スペックの数字より、そこが分かれ道になると思う。
エンジンを後ろへ。トゥインゴRR化の理由と、逆転の発想

そして2014年、3代目で、トゥインゴは大きく生まれ変わる。
長く守ってきた前輪駆動を捨て、エンジンを車体の後ろへ移したのだ。冒頭で触れた、あのRRレイアウトの誕生である。
なぜ、わざわざそんな手間をかけたのか。
意外かもしれないが、その理由は「速く走るため」ではなかった。いちばんの狙いは、小回りと、パッケージングだった。
このあたりの事情は、モーターファンのメカニズム解説が見事に解きほぐしている。
鼻先からエンジンを退かすと、前輪を邪魔するものがなくなる。だから、前輪をより深く切れる。結果、小回りがぐっと効くようになった。あの路地での独楽のような身のこなしは、ここから生まれている。
恩恵は、それだけじゃない。
フロントにエンジンがない分、衝突したときに潰れて衝撃を吸う領域を、長く取れる。つまり、安全性まで高まった。さらに、車体は先代より短くなったのに、室内側の前後方向の長さは320ミリも延びている。小さくして、広くする。これはもう、ちょっとした手品だ。
この3代目は、ドイツのスマートと共同で開発された。
スマート・フォーフォーと、骨格の大半を分け合った双子なのだ。同じスロベニアの工場で、ドイツの精密と、フランスの愛嬌が、同じ揺りかごから生まれた。
合理のために選んだRRが、結果として走りの個性になる。
真面目に考えた末に、いちばん遊び心のある答えにたどり着く。トゥインゴという車の、こういう転び方が、僕は心底好きなのだ。
0.9リッターの直3が背中を蹴る──トゥインゴGTのスペックと馬力

3代目に用意された、いちばん元気なグレードがトゥインゴGTだ。
2017年の秋、まずは200台限定で先行販売された。鍛えたのは、もちろんルノー・スポール。あのRSの遺伝子を受け継ぐ、日常のスポーツだ。
心臓は、わずか0.9リッターの直列3気筒ターボ。
排気量だけ聞くと、軽自動車に毛が生えた程度に思うかもしれない。だが、侮ってはいけない。
最高出力は109馬力、最大トルクは170ニュートンメートル。
このトルクが、2000回転というごく低いところから立ち上がる。だから、信号が青に変わってアクセルを軽く踏むだけで、背中をぽんと押してくれる。3気筒特有の、コトコトと弾むような鼓動が、足裏とお尻からじわりと伝わってくる。数字の上では地味でも、この感触が日常を機嫌よくしてくれるのだ。
停止から時速100キロまでは、計測で9.65秒ほど。
令和のスポーツカーと比べれば、けっして俊足ではない。けれど、トゥインゴGTの速さは、メーターの中ではなく、街角の体感の中にある。この駆け足を、僕はとても信用している。
足回りも、きちんと手が入っている。
標準より太く、低い偏平率の17インチを履き、前後のダンパーは減衰力を40パーセントも引き上げた。乗ると、引き締まった俊敏さが伝わってくる。それでいて、背骨に響くようなゴツゴツした不快感はない。このさじ加減が、いかにもルノーらしい。
もっとも、走りには正直な評価もある。
自動車サイトのwebCGは、試乗記の中で、こう書いている。
引き締まった俊敏さを押し出しつつも、乗り心地は悪くない。ただ、ステアリングの接地感や情報伝達は、絶品級とはいえない。
その通りだと思う。これは、コンマ1秒を削る道具ではない。
けれど、それでいいのだ。詳しい試乗の手応えはwebCGの試乗記がよく言い当てている。サーキットのヒーローではなく、月曜の朝を少しだけ軽くしてくれる相棒。それが、トゥインゴGTという車の正しい立ち位置だ。
そして、忘れてはいけないのが、5速MTの存在だ。
RRのMT。いまの時代、新車でこんな組み合わせを選べること自体が、もう奇跡に近い。左手でシフトを送り、後ろの心臓と呼吸を合わせる。その対話のために、わざわざこの車を選ぶ理由は、十分すぎるほどある。
GTの中古をどう選ぶか。MTという稀少な歓びと、付き合う覚悟

いま、トゥインゴGTを手にするなら、多くは中古からになる。
そこで、少しだけ現実的な話をしておきたい。とくに、5速MTを狙う君のために。
先日、馴染みの輸入車屋に顔を出したとき、店主が苦笑いでこう言った。
トゥインゴGTのMTかい。あれは玉数が少なくてね。状態のいいのが入ると、一瞬で決まっちゃう。RRのMTなんて、もう新車じゃ作れないんだから。
その通りなのだ。AT(EDC)に比べ、MTの個体はぐっと数が減る。
だから、もし状態のいい一台に出会えたら、それは縁だと思っていい。迷っているあいだに、誰かの手に渡っていく車だ。
選ぶときに見るべきは、走行距離の数字よりも、整備の履歴だ。
輸入車である以上、前のオーナーがどう付き合ってきたかが、すべてを物語る。記録簿に、こまめなオイル交換や、過給まわりの点検の痕跡があるか。その紙束こそが、いちばん正直な値札になる。
そして、手を入れたくなったときの話も少しだけ。
足元を引き締めたいなら、ホイールや、控えめな車高調から。チューニングの世界も、この車らしく、節度がいちばん似合う。
- ホイールは、見た目を大きく変えすぎない範囲で。純正の17インチの素性が良いので、欲張らないこと。
- 車高調は、乗り心地を殺さない設定で。RRゆえ、リアの接地感はこの車の命だ。落としすぎは禁物。
- ボディ剛性に関わる補強は、あくまで街乗りの気持ちよさを底上げする範囲で。サーキットを攻める車ではない。
塗りすぎてはいけない絵というものがある。
トゥインゴGTも、まさにそれだ。あの愛嬌と軽やかさを壊さない範囲で、自分の色をほんの少し足す。引き算のセンスが問われる車なのだ。
家族の隣に、もう一台。トゥインゴが似合う大人

学生の頃、一緒に夜の峠へ通った仲間がいる。
あの頃はみんな、安くて軽い後輪駆動の国産に乗っていた。二十年以上が過ぎ、それぞれが家庭を持ち、実用車のハンドルを握る、立派な大人になった。
その一人が、四十を越えて、トゥインゴGTのMTを買った。
「速さじゃないんだ」と、彼は笑った。「これは、毎日が少しだけ楽しくなる薬だよ」。家族のミニバンの横に、ちょこんと収まったその姿は、なんだか妙にしっくりきていた。
家族のために実用車を選んだことは、何も間違っていない。
それは、誇っていい大人の判断だ。けれど、その隣に、ただ機嫌のいい小さな一台を置くことは、許されないことだろうか。僕は、そうは思わない。
大きな車でなくていい。速い車でなくてもいい。
朝のパン屋へ、小銭を鳴らして駆けていくような、軽やかな相棒が一台あるだけで、平日の景色は少し変わる。心のエンジンまで、止めてしまう必要はどこにもないのだ。
よくある質問
トゥインゴGTのスペックと馬力は?
心臓は0.9リッターの直列3気筒ターボだ。
最高出力は109馬力、最大トルクは170ニュートンメートルを2000回転から発生する。駆動はRR、トランスミッションは5速MT(後にEDCの6ATも)。停止から時速100キロまでは計測でおよそ9.65秒。17インチを履き、前後ダンパーの減衰力は40パーセント引き上げられている。数字以上に、街角での身のこなしが楽しい一台だ。
トゥインゴはなぜRR(リアエンジン)なの?
いちばんの理由は、速さではなく小回りとパッケージングだ。
鼻先からエンジンを退けることで前輪を深く切れるようになり、小回りが効く。さらにフロントの衝撃吸収領域を長く取れて安全性が上がり、車体を短くしつつ室内の前後長を320ミリ延ばせた。3代目はドイツのスマートと共同開発され、フォーフォーと骨格を分け合っている。
トゥインゴGTの中古、MTは選べる? 相場はどう?
選べるが、5速MTの個体は数が少ない。
ATに比べて流通量がぐっと減るため、状態のいい一台は出るとすぐに決まる。価格は状態と仕様で開きがあるので、走行距離より整備履歴を重視してほしい。記録簿のしっかりした個体ほど、長く気持ちよく付き合える。RRのMTという稀少さ自体が、この車の価値だ。
ゴルディーニとは? スペックは?
ゴルディーニは、ルノーの名チューナー、アメデ・ゴルディーニの名に由来する称号だ。
「魔術師」と呼ばれた彼の名は、ルノーのスポーツ上級版に与えられてきた。2代目のゴルディーニ ルノー・スポールは、1.6リッターの直列4気筒で134馬力、5速MT、駆動はFF。ブルーに白いストライプという、R8ゴルディーニへのオマージュ配色をまとっている。
チューニングや車高調は入れていい?
もちろん構わないが、引き算のセンスが大事だ。
足元はホイールや控えめな車高調から。ただしRRゆえ、リアの接地感はこの車の命なので、落としすぎは禁物だ。サーキットを攻める車ではなく、街乗りの気持ちよさを底上げする方向で手を入れるのが、いちばんトゥインゴらしい。あの愛嬌と軽やかさを壊さない範囲で、自分の色を少しだけ足してほしい。
まとめ

トゥインゴは、たぶん、賢い選択ではない。
速くもなく、広くもなく、輸入車ゆえに手もかかる。数字の上では、もっと利口な買い物がいくらでもある。
それでも、僕はこの小さな相棒を推したい。
後ろに心臓を積んで、前輪をくいと切り、狭い路地を独楽のように曲がっていく。その一瞬に、確かな歓びがあるからだ。
初代のカエル顔。魔術師の名を継いだゴルディーニ。エンジンを後ろへ追いやったRRの逆転劇。
トゥインゴの歴史は、ずっと、肩の力を抜いたまま遊び続けてきた歴史だった。生真面目に作られた、上機嫌な車。そんな矛盾を、この一台は軽々と抱えている。
財布の小銭を鳴らして、朝のパン屋へ駆けていく。
そんな車が一台あるだけで、ありふれた平日が、ほんの少し愛おしくなる。──さあ、君は明日の朝、どの路地を曲がろうか。
執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)



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