ホンダシティという小さな反逆──初代AAのブルドッグ・モトコンポから2代目GA2まで、80年代の遊び心の記憶

ホンダ

テレビから、あの合いの手が流れていた。

ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ。妙な節回しの英語の歌に、無遠慮に被さってくる連呼。画面の中では、変な帽子の外国人たちが、おかしな横歩きで踊っていた。八〇年代の、まだ夕方のアニメの合間に流れていた、あのコマーシャル。

近所の友人の兄が、その小さなクルマに乗っていた。角張った、背の高い、まるで弁当箱のような形。子どもだった僕は、正直、心の中でこう思っていた。なんだか、おもちゃみたいなクルマだなと。

あれから何十年も経って、僕はようやく気づいた。あのおもちゃみたいなクルマこそ、八〇年代のホンダが本気で遊んだ、いちばん自由な一台だったのだと。今日は、ホンダシティの話をしよう。

クルマには、二種類ある。乗る人の暮らしに、ただ静かに寄り添うもの。そして、乗る人の毎日に、小さな事件を起こすもの。シティは、まちがいなく後者だった。乗り込んだ瞬間から、どこかへ行きたくなる。何かを始めたくなる。そういう、落ち着きのない高揚を運んでくるクルマだった。

ホンダシティは、馬力ではなく遊び心で殴ってきた


初代のホンダシティが世に出たのは、一九八一年十一月。型式はAA。当時としては、ずいぶん思い切ったクルマだった。

何が思い切っていたか。その背の高さだ。普通、小さなクルマは、低く構えてスポーティに見せたがる。だがシティは逆をいった。全高をぐっと引き上げて、室内の余裕を稼ぐ。「トールボーイ」と呼ばれた、その背高のっぽのパッケージは、当時の常識を裏返すものだった。

そして、ここが面白い。GAZOOの記事も指摘しているが、この発想は時代を先取りしすぎていた。全高を上げて居住性を稼ぐという考え方は、後のトールワゴンや、いま街にあふれる背の高いコンパクトカーの、まぎれもない原型なのだ。一九八一年に、ホンダはもう未来を見ていた。

初代シティの心臓は、ER型と呼ばれる1.2リッターのエンジンだった。ホンダはこれに、コンバックスという独自の燃焼技術を与えていた。高密度速炎燃焼。難しい名前だが、要するに、小さな排気量から、できる限り効率よく力を引き出す工夫だ。当初の出力は67馬力。決して大きな数字ではない。だが、軽い車体には、それで十分すぎるほど元気だった。

馬力で勝負するのではない。排気量で威張るのでもない。発想の自由さ、遊び心。それでクルマの世界を引っかき回す。子どもの僕がおもちゃと侮ったその形は、実は、誰よりも頭の柔らかい大人たちが、本気で考え抜いた答えだった。

いまになって思う。あの頃のホンダには、若さがあった。失敗を恐れずに、面白いと思ったことを形にしてしまう、無邪気な勢いがあった。背の高い小型車。トランクに積めるバイク。イタリアの幌をまとったオープン。そのどれもが、行儀のいい会議室からは、決して生まれてこない発想だ。シティは、企業の若さが、そのまま鉄とガラスになったようなクルマだった。

トランクにバイクを飼う、という発明──モトコンポ


シティの遊び心を、最も象徴するものがある。モトコンポだ。

これは、シティと同時に売り出された、五〇ccの小さなバイク。ただのバイクではない。ハンドルもシートも畳めて、シティのトランクにすっぽり収まるように作られていた。全長は118.5センチ、乾いた状態での重さはわずか42キロ、タンクは2.2リットル。クルマで目的地の近くまで行って、最後の数キロは、トランクから取り出したバイクで駆け抜ける。

考えてみてほしい。クルマが、自分の中にもう一つの乗り物を飼っている。この発想の自由さを。移動を、ただの移動で終わらせない。そこに、ひとつまみの冒険を混ぜ込む。シティというクルマは、ポケットに花火を詰め込んだ少年のようだった。いつでも、どこでも、退屈を退治する準備ができている。

先日、馴染みのバイク屋で、いまもモトコンポを大切に持っている人に会った。シティ本体はとうに手放したという。それでも、と彼は言った。

クルマはもう無いけど、これだけは捨てられないんだよ。相棒の方が、最後まで残った。

クルマより、その相棒の方が、人の心に長く居座る。そんなクルマが、いったいどれだけあるだろうか。

モトコンポの赤や黄色の、あの四角い姿を覚えている人も多いだろう。ハンドルを引き出し、シートを起こすと、それは一台のバイクになる。ぱたぱたと小さなエンジン音を立てて、街の路地を抜けていく。大きな国道はクルマで、細い路地はバイクで。一台のクルマの中に、二つの移動の楽しみが同居していた。

効率を突き詰めるなら、こんな仕掛けは要らない。クルマ一台あれば、たいていの用は足りる。だが、ホンダはあえて、要らないはずの遊びを、わざわざ作り込んだ。その無駄こそが、豊かさだった。あの時代の人たちは、移動という行為そのものを、もっと楽しもうとしていた。目的地に着くことだけが、ドライブの目的ではなかったのだ。

ブルドッグの咆哮──ターボIIと110馬力


遊び心の塊だったシティは、やがて牙を剥く。ターボの登場だ。

一九八二年に100馬力のターボが、そして翌一九八三年十月、ついに110馬力を発生するターボIIが追加される。この、押し出しの強い顔つきのモデルに、人々は自然とあだ名をつけた。ブルドッグ、と。前後にせり出したブリスターフェンダーで全幅は55ミリも広がり、大きなバンパー、膨らんだボンネット。その面構えは、たしかに、低く唸る番犬そのものだった。

だが、ブルドッグの本当の凄みは、見た目ではない。その中身だ。ホンダの公式発表によれば、ターボIIは1.2リッタークラスで初めて、空冷式のインタークーラーを装着した。吸い込んだ空気を冷やして密度を高め、より多くを燃やす。この技術は、当時ホンダが戦っていたF1からのフィードバックだった。

その結果、無鉛ガソリン車として当時世界最高という、0.85kg/cm2もの過給圧を絞り出す。1.2リッターという小さな器に、F1の知恵が注ぎ込まれていたのだ。アクセルを踏み込んだとき、小さな車体がぶるりと身震いして、唸りを上げて前へ突進する。あの感覚は、排気量の数字からは想像もつかない。

110馬力という数字を、いまのクルマと比べれば、ささやかに思えるかもしれない。だが、その力を、あの小さくて軽いボディで受け止めると、話はまるで違ってくる。器が小さいほど、注がれた力は暴れる。ブルドッグが「じゃじゃ馬」と呼ばれたのは、そのためだ。乗り手を選ぶ、気難しさ。それを乗りこなしたときの達成感は、おとなしいクルマでは決して得られないものだった。

当時、このブルドッグを使ったワンメイクレースも開かれていた。背の高い小さなクルマたちが、コーナーで内側のタイヤを浮かせ、今にも転びそうになりながら、必死に競い合う。その光景は、速さの競争というより、もはや一つの祭りだった。クルマで本気で遊ぶ。その純粋な楽しさが、サーキットいっぱいに満ちていた、いい時代の風景だ。

フェンダーの膨らみは、本気の証

旧車のイベントで、ブルドッグのオーナーと話したことがある。彼は、あの膨らんだフェンダーを愛おしそうに撫でながら、笑って言った。

このフェンダーの膨らみを見るたびに思うんだ。八〇年代のホンダは、いい意味で振り切れてたなって。

その通りだと思う。実用一辺倒の小型車に、ここまで本気の牙を仕込む。採算や常識を一度脇に置いて、面白いと思ったことを、全力でやってみる。あの膨らんだフェンダーは、メーカーの遊び心が、鉄板を内側から押し上げた跡なのだ。

ピニンファリーナの幌と、マッドネスのCM


シティの粋は、走りだけにとどまらない。一九八四年七月、オープンモデルのカブリオレが追加される。

国産車では、ホンダのS800以来、実に十四年ぶりのオープンカー。しかも、ただのオープンではなかった。その幌の設計を手がけたのは、フェラーリをはじめ数々の名車を仕立ててきた、イタリアの名門カロッツェリア、ピニンファリーナだったのだ。大衆のための小さなコンパクトに、イタリアの薫りをひとさじ。この贅沢の混ぜ方が、いかにも当時のホンダらしい。

そして、忘れてはならないのが、あのコマーシャルだ。冒頭で僕が思い出した、変な横歩きのダンス。あれは、イギリスのバンド、マッドネスだった。Re:minderの記事が振り返るように、彼らの演奏する曲に「ホンダ、ホンダ」の合いの手を被せたあのCMは、クルマの広告という枠を飛び越えて、ひとつの若者カルチャーになった。

クルマのCMが、その時代の音楽や空気そのものになる。シティは、その先駆けだった。あの合いの手は、僕らの世代にとって、間違いなく青春のBGMの一つだったのだ。

不思議なものだ。スペックは、すぐに忘れる。何馬力だったか、何キロのトルクだったか、正確に言える人は少ない。けれど、あのCMの旋律と、変な横歩きのダンスは、何十年経っても、ふとした瞬間に頭の中で再生される。クルマの記憶は、数字ではなく、音や匂いや、そういう手触りのあるものに紐づいて、心の奥に残っていく。シティは、その残り方を、誰よりもよく知っているクルマだった。

2代目GA2──売れなかった、けれど名車


一九八六年十月、シティは二代目へと生まれ変わる。型式はGA1、GA2。ここで、シティは大きく性格を変えた。

あの背高のっぽのトールボーイから一転、車高を下げ、ワイドに構えた「クラウチングフォルム」へ。獲物に飛びかかる直前の、身を低くした獣の姿だ。ターボもカブリオレも姿を消し、ラインナップは整理された。初代のあのはじけるような遊び心を期待した人には、少し生真面目に映ったかもしれない。

正直に言えば、この二代目は、大衆車としては商業的に成功しなかった。初代の無邪気な魅力と、あまりに対照的だったから。けれど――ここからが面白いところだ。

軽く仕上げられた素直なシャシーは、走りの世界で、思わぬ評価を受ける。とりわけジムカーナの舞台で、GA2シティは「申し子」と恐れられるほどの戦闘力を発揮した。Motor-Fanの記事も、いまあえてGA2を選ぶ玄人好みの魅力を語っている。一九八八年には、1.3リッターのPGM-FIで100馬力を発生するCR-iも加わった。

ジムカーナにGA2で出ていた後輩が、かつてこう言っていた。「これは速いクルマじゃないんです。速く走れるクルマなんです」と。売れ行きと、クルマとしての価値は、まったく別のものだ。軽さという正義を、このクルマは静かに証明し続けている。

軽いということは、すべての動きが正直になる、ということだ。アクセルを踏めば素直に進み、ブレーキを踏めば素直に止まり、ステアリングを切れば素直に向きを変える。余計な重さが、ドライバーの意思を鈍らせない。だから、運転が上手くなった気がする。いや、本当に、自分の操作とクルマの動きが一致していく喜びを、教えてくれるのだ。GA2は、運転そのものの楽しさを思い出させてくれる、稀有な先生だった。

初代の華やかさと、二代目の生真面目さ。一見、まるで違う二台に見える。だが、その根っこには、同じ志が流れている。小さなクルマで、人を本気で楽しませる。そのために、手を抜かない。表現の仕方が違っただけで、シティはどの世代も、ひたむきに「楽しさ」と向き合っていた。

いま、ホンダシティを手に入れるということ


では、いまシティを手に入れようとすると、どうなるか。

初代のブルドッグも、二代目のGA2も、いまや市場に残るタマ数は決して多くない。とりわけターボ系は、走りに使われて消耗した個体も多く、状態のいいものを見つけるには根気がいる。ターボまわり、足まわり、そして部品の供給。確認すべきことは、決して少なくない。

それでも、このクルマを探す人がいる。馬力でも、ステータスでもない。あの時代が放っていた、無邪気で自由な熱を、もう一度手元に置いておきたい。そういう想いで。

小さくて、安くて、けれど誰よりも楽しそうだったクルマ。その熱は、いま手に入れても、少しも色褪せていない。むしろ、効率ばかりが幅を利かせる時代だからこそ、あの自由さは、まぶしく見える。

家族のために、堅実なクルマを選んだ。その選択は、何ひとつ間違っていない。立派な大人の判断だ。けれど、休日のガレージで、もう一台、心を躍らせるための小さな相棒を置いておく。そういう生き方も、きっと許されるはずだ。シティという小さな反逆は、いまを生きる僕らに、そっとそう囁いてくる気がする。

よくある質問

ブルドッグとは、どのシティのことですか

初代シティ(AA型)に設定された、ターボIIというモデルの愛称だ。一九八三年に登場し、110馬力を発生する。前後に張り出したブリスターフェンダーの、いかつい面構えから、自然と「ブルドッグ」と呼ばれるようになった。1.2リッタークラスで初めてインタークーラーを装着した、当時の意欲作でもある。

モトコンポは、本当にトランクに積めたのですか

積めた。というより、シティのトランクに積むことを前提に設計された、折り畳み式の50ccバイクがモトコンポだ。ハンドルとシートを畳めば、全長118.5センチ、重さ42キロほどの箱のような姿になり、トランクに収まる。クルマとバイクをセットで楽しむという、ホンダの遊び心が形になったものだ。

2代目のGA2は、何が良いのですか

とにかく軽く、シャシーが素直なことだ。大衆車としては売れ行きが伸びなかったが、その軽さと素性の良さから、ジムカーナなどの競技の世界で高く評価された。派手さよりも、走らせて楽しいクルマの基本を突き詰めた一台で、いまも玄人に好まれている。

中古で買えますか。注意点は

探せば手に入るが、タマ数は少なく、状態の良し悪しの差が大きい。特にターボ系は、エンジンやターボ、足まわりの状態をよく確認したい。古いクルマなので、部品の供給状況も含めて判断するのが賢明だ。旧車を扱い慣れた専門店に相談しながら進めるのが、後悔しないための近道になる。

まとめ


馬力でも、排気量でもなく、遊び心で時代を引っかき回したクルマ。トランクにバイクを飼い、イタリアの幌をまとい、F1の知恵で牙を研いだ、小さな一台。

子どもの僕が、おもちゃと侮ったその形は、いま思えば、誰よりも自由で、誰よりも本気だった。

目を閉じると、いまも遠くで、あの「ホンダ、ホンダ」の合いの手が、鳴っている気がするんだ。あなたの記憶の中にも、きっと。

執筆:橘 譲二(たちばな・じょうじ)

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